「“お前もパンツ脱げ”と…」 長嶋茂雄さん、大学の後輩が明かす“特殊過ぎる”練習方法 「後輩にも“君付け”でイビリは絶対にしなかった」

スポーツ 野球

  • ブックマーク

後輩にも“君付け”

「神宮の大スター」だった長嶋さんの存在は野球部の中でも別格だった。下級生だけでなく上級生も一目置くが、それでも威張るところがなかった。

「新入部員の私に対して長嶋さんはいつも“諌山君”と、君付けをします。私だけではなくすべての下級生に対しても、決して呼び捨てにしません。そんな丁寧な言葉遣いひとつをとっても、われわれ下級生は尊敬の念を抱いて接していました。当時は優しい先輩ばかりではない中、長嶋さんは後輩イビリを絶対しません。ある上級生が後輩部員をイビっているところに遭遇する都度、率先して上級生に対しても“オイッ、やめろ”と、諫めたものです」

 京都府立嵯峨野高校出身の荒井邦夫さん(88)は、長嶋さんの1年後輩だった。

「高校時代の守備位置はサード。長嶋さんの後ろについて練習した思い出があります。最初に声をかけられた言葉が“おまえはまだ1年生だけど、いずれ俺の後を継ぐサードになってほしい”でした」

 荒井さんは、2年のときに長嶋さんの推薦で野球部のマネージャーになった。

「たまの休日、長嶋さんはどこかへ外出する際、必ずといっていいほど私を連れて行く。ことに新宿の天ぷら屋『つな八』など、おいしいごちそうを食べに連れて行ってくれた思い出が懐かしい。店ではひと通りコースメニューを平らげてから、鶏もも肉を2~3本別注文する。それにうまそうにかぶりつくのだから旺盛な食欲には驚かされました」

天然エピソード

 下戸の長嶋さんは、コップ半分程度のビールで真っ赤になる。飲むのはリーグ戦の祝勝会のときだけで、普段はたしなまない。

 前出の諫山さんもよく食事に誘われた。いかにも長嶋さんらしいエピソードがある。

「行きつけの店は新宿のとんかつ屋だった。合宿所から新宿まで往復、タクシーを使う。むろん、乗車賃は長嶋さんが支払う。鮮明に覚えているのは、会食中、家の話に夢中になったこと。特に“母親を大事にしろよ”とよく言っていた(長嶋の父親は大学1年のときに亡くなった)。会食後、果物屋を見つけた長嶋さんは、私に現金を渡して“バナナ一房ごと買ってきてくれないか。あとでキミに半分やるから”と。一房を買ってからタクシーで帰寮。その車中、長嶋さんは一人でバナナをムシャムシャ黙々と全部食べてしまった。一点を凝視したまま、微動だにせず、考え事に集中しているように見えた。あとでわれに返ったのか“あれっ、キミにバナナをあげたかな”と思い出したかのように言っていました」

 あるとき諫山さんは長嶋さんからアロハシャツをもらったが、そのことを忘れた長嶋さんが「おい、諫山君。俺のシャツが見当たらない」と騒いだこともあったという。

「長嶋さんの毎日のルーティンは、合宿所内の大鏡の前に立って身だしなみを整えること。とてもオシャレでしたから。通学時は学生服を着用しますが、プライベートでは趣味で集めたアロハシャツを引っかけて外出する。枚数にして数十着あったでしょうか。ロッカーにびっしりとしまってありました」

 後編【「長嶋さんの体にボールをぶつけてしまい、先輩から頭をゴツンと…」 立教大学OBが明かす長嶋茂雄さんの「プロデビュー前」の素顔】では、立教大学OBらが明かす、知られざる長嶋さんの素顔について、詳しく報じる。

週刊新潮 2025年8月14・21日号掲載

特集「立教大野球部時代をOBが語る 長嶋茂雄『スター伝説』」より

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。