「生活のため」と割り切って練習した歌がヒットして… 上條恒彦さんが抱えていた“複雑な思い”【追悼】
飾らない私生活
65年、5歳年下のファンと結婚、2男が誕生。上條さんが売れると、妻は自立したいと家出。79年に離婚。息子たちを引き取り途方に暮れた。付き人を務めた16歳年下の悦子さんと83年に再婚。4人の男児を授かった。87年、長野県富士見町に移り住み、農作業も始めた。
近所で「ビストロ梅の木」を営み親交の深かった梅川英男さんは言う。
「地元の人と気さくに交流して飾ったところなどありません。長靴姿も普通です。大根など野菜をおすそ分けしてもらいました。店でくつろいで下さるのがうれしかった。ここで焼かせてもらっていいか、とサンマを持ってきたこともあります」
「紅の豚」「もののけ姫」などで声優も担い、宮崎駿さんを店によく招待した。
昨年もミュージカルに出演
ミュージカル「ラ・マンチャの男」では77年から2023年の最終公演まで出演、主役の松本白鸚さんを支える演技が光った。昨年も息子の上條恒(こう)さんが脚本・演出を務めたミュージカル「六月の雨」に出演するなど仕事は途切れなかった。
7月22日、老衰のため85歳で逝去。
「朝日村に『山は大きく』という大切な歌があります。(93年に)上條さんが村のために作詞してくれました。18年、村の新庁舎完成の式典で上條さんは子供たちと一緒にこの曲を歌い、村を離れても故郷はずっと心の中にあるんだよと身をもって教えてくれた」(中村さん)
芸能界が向いていないのではと自問する繊細さがあった。故郷や農作業は落ち着ける場だったのだろうか。
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