55年前の万博のほうが“未来を感じられた”のでは? 1970年は「月の石」に行列ができたのに、2025年は「回転ずし」に行列ができるフシギ

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興ざめのスシロー

 あちらこちらで、いかにも中東の満たされたエリート然としたスタッフが小声で談笑していた。「これはどういう展示なのですか?」と英語で尋ねてみたが、「そこのプレートにある説明を見てください」と中東訛りの英語で返される。日本語は話せないという。

 プレートを読むと、アラブ首長国連邦にとって歴史的にも文化的にもとても重要な木だとはわかった。だが関西万博のコンセプトである「命輝く未来社会のデザイン」との整合性は、どこをどう読んでもわからない。どうでもよくなって、土産物のコーナーへ寄る。欲しいと思う物は、どれも予想よりもはるかに高額だった。

 こうなったら数を見なくては時間の無駄だと友人と意見が一致し、コモンズ(共同館)のBとCへ向かう。途中、「静けさの森」を通ったが、いきなり「スシロー」のロゴマークが目に入って驚く。パビリオンではなく出店であれば、たとえ業者が運営していても「万博寿司」といった風な、場に合わせたOEM(委託ブランド製品生産)的なネーミングにするものと信じ込んでいたからだ。

「だって、いきなりスシローのロゴが出てきたら、非日常のイベントの中におるのに、いつもの日常に先祖帰りしてまうやんか」

「向こうかて外国人への宣伝込みで出てきてんねんから、そらいつものスシローでやりたいんやろ」

 いずれにせよ、個人的には興醒めだった。大阪で江戸前スタイルの回転寿司というのも合点がいかない。

非日常の行列と日常の行列

 そのスシローが入る建物の隣にコモンズBがある。昼時が近いせいか、スシローの前には行列ができていた。来場者が求めるものは「非日常の中の日常なのである」と言われれば、それはその通りですねとしか言いようがない。

 70年万博の「月の石」は非日常の権化だった、と思う。私は70年万博を訪れたことがあり、その時は太陽の塔を筆頭に強い衝撃を受け、心から感動した。だが「月の石」を展示したアメリカ館は、あまりに長い行列で見ることができなかった。

 それでも自分だけでなく親さえ迷子になるほどの大変な混雑の中で、ぎゅうぎゅうに詰めて必死の形相で並んでいた真っ黒な行列(に見えた)を思い出すと、あれは紛れもない非日常の光景だったと言いたくなる。

「マンガや映画でしか見たことない、まったく新しい未来なんて、誰も来てほしくないんやろか」

「適度に知ってる日常が組み込まれた、安心できる未来の方が誰でもエエんとちゃうか」

 なるほど、それはそうだ。そもそも急激な変化なんて、そうそう起こるものでもない。インターネットやAIだけでも、すでに辟易してお腹一杯になっている人も実は多いだろう。考えても仕方がないことを考えながら、コモンズの建物に入る。

※第3回【関西万博を訪れたITジャーナリストが“未来社会”のイメージを見い出せなかった根本的な理由…「VR映像はもはや未来の技術ではない」】では、さらに詳しくコモンズ(共同館)内部の様子や、目玉の一つであるガンダム像に対する違和感などについて、井上氏が詳細にレポートしている──。

井上トシユキ(いのうえ・としゆき)
1964年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒業後、会社員を経て、98年からジャーナリスト、ライター。IT、ネット、投資、科学技術、芸能など幅広い分野で各種メディアへの寄稿、出演多数。

デイリー新潮編集部

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