「日本に“第3の原爆”が投下されていた」の真相は…ソ連崩壊で表に出た“歴史の謎” 現地記者が入手した「突拍子もない内容の手紙」【週刊新潮が伝えた戦争】 #戦争の記憶

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ソ連崩壊で表に出た“歴史の1ページ”

 長崎に投下された原子爆弾は2個あり、1個は不発弾でソ連に引き渡された。しかも、引き渡した人物は竹田宮恒久王――。“歴史の謎”として時折注目されるこの説、出所は1991年12月26日のソ連崩壊に際して発見された資料である。

 ロシアがロシア連邦としての一歩を踏み出すなか、次々と流出したソ連時代の機密資料は、モスクワに“歴史発掘”ブームを巻き起こした。そこで発見されたのが「長崎の不発弾」に関する新資料だ。「関東軍がソ連に不発弾の提供を申し出た」「関東軍から大本営宛てに『ソ連大使館へ渡せ』と指示する密電が存在する」といったその内容がドイツ誌に掲載されると日本に衝撃が走る。...

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