日テレは24時間テレビを「やめたくてもやめられない」 猛暑の中のマラソン、セクハラ騒動… 視聴者が違和感を抱いても続ける理由
他局はスポーツやお笑いなど「リアルな一発勝負」にシフト? お笑いも音楽も不発の日テレにとっての24時間テレビの価値
逆に、「生」の熱気を伝え続けているコンテンツの代表例がスポーツだ。24時間テレビと並んで夏の代名詞イベントといえば高校野球(甲子園)。民法では朝日放送(テレ朝系列)が担っており、編集の利かない「生の勝負」がリアリティーを生み、視聴者の熱狂を呼んでいる。
また、各局ともに音楽より「お笑い」にシフトしている傾向もある。「24時間テレビ」のカウンターとして始まったフジテレビ「27時間テレビ」は、今年見送りとなることが発表されたが、その代わり夏の特番として「ENGEIグランドスラム10周年スペシャル」を生放送。TBSの「キングオブコント」は秋の放送だが、まさにいま各地区で予選が行われている。冬の特番の王者「M-1グランプリ」(朝日放送)は年々エントリー数が増え、毎年大きな反響を起こす。くじ引きで順番が決まり、スベろうがネタが飛ぼうが一発勝負、という緊張感によって生まれるすごみは、24時間テレビとは違う種類の感動を生んでいるのだ。
感動を「作る」のではなく、偶然生まれるドラマに委ねることで、視聴者の熱狂を生み出し続けるお笑いコンテンツは、感動を過度に演出する24時間テレビとは正反対である。
さて日テレもこの夏、「ダブルインパクト」という新しいお笑いトーナメントを立ち上げたが、まだ未知数。「THE W」も、いまひとつ支持を得られていない。巨人戦だって昔ほどのドル箱コンテンツではないだろう。スポーツでも音楽でもお笑いでも「生で感動を生む仕組み」を築けていない日テレにとって、「リアルを演出できる唯一の場」が24時間テレビになってしまっているのではないか。
「マラソンはリアルだから視聴者に届く」「実話の紹介だからこそ胸を打つ」といった信念があるのかもしれないが、その「リアル」が、果たして現代の価値観と合っているのか。視聴者はもう、テレビの中の「演出されたリアル」を見抜くようになっている。
こうして24時間テレビは、「社会貢献」という大義と、「放送ビジネス」という現実のあいだで苦境に立っている。チャリティーの名の下に広告収入を得るという構造に、批判の声は常につきまとう。他局の特番ラインナップと比べて「売りにできる生番組」が24時間テレビのみである以上、日テレにとってこの番組は企業アイデンティティーの根幹ですらある。もし24時間テレビが終われば、視聴率・収益・社会貢献という三大成果を一気に失う。もはや日テレにとって、それは「やめたくてもやめられない番組」なのだろう。
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