「死の瞬間から本当の生が始まる」 横尾忠則が物心ついたときから“知っていた”こと
僕の周辺の友人、知人は学歴のあるいわゆる知識人ばかりです。そして、その多くの人達とはうまくいっています。だけど決定的に違うことがひとつあります。
速報【初激白】松岡昌宏が語った、国分太一への思いと日テレへの疑問 「日本テレビさんのやり方はコンプライアンス違反ではないのか」
それは彼等の大半というかほぼ全員が死後生を信じていないことです。だからと言って対立して疎遠になるということはありません。それは生き方の問題だからです。僕の生き方の核になっているのは、死後生の存在を認めていることです。そしてそのことが僕の人生の100パーセントを決定していると言ってもいいです。だからと言って死後生を信じていない友人、知人とは仕事の上、生活の上で対立してもめるというようなことは全くありません。
ではいつも顔を合わせている妻はどうなのか、というと彼女はあるともないとも言いません。多分わからないのか、それともどうでもいいことだと思っているのかも知れません。本当は死後生のことなど、どうでもいいというのが正論で、死んだらわかることだから、生きている間は、この現世の存在を認めるという、これが理性であり知性であり、道徳であると言いたいのかも知れません。
僕もこの問題で人と対立したり、喧嘩をしたりすることはありません。なぜなら僕自身の問題だからです。大袈裟に言えば僕の思想であり、哲学だからです。では、そんな哲学や思想をどこで学んだのか、と言われても、誰かに教わったわけでも影響を受けたわけでもありません。
こういう言い方はあいまいで、いいかげんで、何の根拠もないのですが、やや大袈裟に言いますと、「知っていた」ということになります。誰に教わったわけでも洗脳されたわけでもないのに物心がついた頃から、自分はここ(現世)に来る前から、何んとなく、ここでないところから来たと思っていました。
前生の記憶を語る子供が世界中に沢山いるということは知っています。僕は前生の記憶はないんですが、ここに生まれる以前にどこかにいたという、確信に似たものがあって、それがどうも死の世界であるように思っていたのです。だからかどうかはわかりませんが子供の頃から死への想いが非常に強く、画家になった現在、僕の描く絵の全てに死が関与しているように思うのです。僕の絵を批評する人の大半が、僕の作品の核に死のイメージが深く関わっていると言います。でも僕は、毎回描く絵に死を表わそうなんて考えたことはありません。
でも、僕の絵を観賞してくれる人は、僕の絵の中に死のイメージというか、死を感じ取るようです。僕にとって死は恐しい忌み嫌うものではなく、むしろ安住の場所のような気がしないでもないのです。僕は絵の中に、時々というか、たまに骸骨を描いたりしますが、あれは、死の表象というより、骸骨の形が面白いので描くだけで、あれによって死を語ろうとか、表現しようとかはいっさいありません。むしろ骸骨は気味悪く、イヤーな感じさえします。
人間は肉体を放棄することで、人間ではなくなる。だから死は無であるという。だって科学的に死後生は証明できないのです。科学が否定するものを存在すると言う方がおかしい、人間の存在は肉体が全てで、その肉体が地上から消滅すれば生も消滅するという考えこそ真理である、とわれわれはいつの間にか教えられてきました。
ところが仏教では、人間の本体は肉体ではなく魂であると主張します。そこから輪廻転生という考えがでてきました。僕は別に仏教から影響を受けたわけではありませんが、知らず、知らずというか、なんとなく、人間は永遠に死なない存在であるとチビの頃からそう信じていました。もし、それを教えた者がいるとすれば、それは僕の中の魂の声だったかも知れません。
老齢になるに従って、死は非常に身近かなものとして、生の中にすっかり入り込んでいるのではないかと思うほどです。つまり生と死の区別は肉体が存在するかしないかの違いだけのように思うのです。毎日の生の中に、死も同居していて、死の中にも生が這入っている、そんな感覚なのです。
死の瞬間、ガタンと大きい音を立てて、肉体の苦痛を体験するので、多くの人は、そこで生が終ったと思うのですが、僕は、そうではなく、そこから本当の生が始まると思うのです。肉体が自分だと思っていたのが、実は魂であったり霊であったりして、死と同時に、そちらに切り換えられるだけで、生きていた時の「自分」と死んでからの「自分」は別の人間ではないのです。まして「自分」が無になるということはあり得ないのです。この考えは万民に共通するのではなく僕だけが実感する考えであると思って下さい。
そろそろお盆になるので、また去年のように「横尾さんが体験したあちらの世界の話を書いてくれませんか」と担当編集者のTさんからのリクエストがありました。ではお盆の頃には僕の「遠野物語」Part2をご紹介しましょう。


