「奥菜恵」「宮沢りえ」「夏帆」が10代で出演した“夏映画の名作”といえば 暑さを吹き飛ばすみずみずしい演技を堪能
宮沢りえが15歳で演じた大人たちとの「戦争」
〇「ぼくらの七日間戦争」(1988年)
ある夏の日、厳しい管理や校則に反発した青葉中学1年A組の男子生徒8人は、反旗をひるがえし町はずれの廃工場に立てこもった。この反乱に慌てた教師や親は何とか連れ戻そうとするが、彼らは断固として抵抗する。学級委員の中山ゆかり(宮沢りえ)たち3人の女子生徒も、彼らに共感し一緒に立てこもることになった。そして工場に放置されていた戦車や廃材を使って大人たちと「戦争」を開始する。
「戦争」というと物騒な感じがするが、生徒たちは廃工場内でスケボー、ローラスケート(当時光GENJIが大人気だった)に興じる。また料理を作ったり、恋のさや当てが始まったりと、まるで夏合宿やキャンプのような楽しさに溢れている。
生徒から信頼されている英語教師が賀来千香子。TBSドラマ「男女7人夏物語」(1986年)などで人気を集めていたころだが、その際立つ美しさは注目の一つ。同僚の教師、八代謙一を演じた佐野史郎とはこの三年後、「冬彦さん」が流行語にもなったTBSドラマ「ずっとあなたが好きだった」(1992年)で夫婦役を演じている。
トリュフォーの「大人は判ってくれない」(1959年)から続く、子供が社会や大人の論理に抵抗するという古典的テーマだが、映像から清新な風を感じるのは当時15歳の宮沢りえの存在だろう。
女優として生きていくきっかけとなった作品
宮沢りえは11歳でデビューした後、87年にCM「三井のリハウス」の初代リハウスガールとして一躍注目を浴びた(現在流れている同CMでは母親役として出演。14歳だった当時の映像も映される)。翌88年に本作の主役に抜擢され、俳優デビューをした。
「ぼくらの七日間戦争」では、映画初出演と思えないはつらつと奔放さを感じるが、宮沢は2019年のアニメ版舞台挨拶で「演技に劣等感があって最初はとてもいやだった」と語っている。しかし、「スタッフの人たちのエネルギーに押されて、できないと思っていたことができるようになり、演じる奇跡を感じた」。彼女が女優として生きていくきっかけとなった作品だったのだ。
昭和の最後の年にスタートした彼女の女優人生。その後、テレビドラマで多くの主役を務めていた人気絶頂の時、写真集『Santa Fe』(1991年)で社会現象を起こす。翌年には貴乃花光司と婚約発表をし「世紀のカップル」と言われたが、2か月で解消してしまう。
それでも宮沢の女優人生は揺るがなかった。「たそがれ清兵衛」(2002年)では多くの主演女優賞を受賞し、その後も「父と暮せば」(2004年)、「紙の月」(2014年)、「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016年)など、いずれもその演技に高い評価を得た作品への出演が続いている。
15歳の宮沢りえの突き抜けた演技を見て、あのころ自分もこんなことが出来たらと創造するのも楽しいのではないだろうか。
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