“メンドー臭がり”のはずの横尾忠則が1年に100点の絵を描く理由

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 僕は本当にメンドー臭がり屋です。どうしてこんな性格になったかと思うほどメンドー臭いのです。

 でもメンドー臭いといいながら、結果メンドー臭いことばかりしています。でもやっぱり基本的にメンドー臭がり屋です。

 今、この原稿を書きながら、そろそろ12時なのでランチの時間です。が、自分の食べたい物を食べるためには駅前まで自転車で行く必要があります。でも食べたい物よりも(この食べたい物があるのかどうかもわかりません)、近くのコンビニに行った方が、たとえ食べたい物がなくても、身体を動かさなくて済みます。

 できれば、今、原稿を書いている時間がズルズル過ぎて、昼のランチの時間がとっくに終わってしまったら、コンビニへさえ行かなくて済む。すると昼食抜きですがそれでもいいやと思うのです。つまり、コンビニへ行くのもメンドー臭いのです。

 といって、今書いているこの原稿をずっと書いていたいのかというと、そうでもないのです。書いているんだから、まあ、書かせておけ、という程度のことです。

 それでまた絵を描き出すと、次のことがしたくなくなって、絵を描くこともメンドー臭いけれど、たった今、こうして絵を描いているんだから、絵を止めるのもメンドー臭いからまあ描き続けるか、ということになってしまうのです。実に優柔不断です。

 以前、英語を学ぼうとして、イギリス人の若者を雇ったことがありますが、その若者がしばらくした頃、

「ヨコオ、メンドークサイ、トイウイミワナンデスカ」と聞いてきたことがあります。またメンドー臭いことを聞く奴だなあ、と思って、

「キミハ、ドコデ、ソンナ、コトバヲ、オボエタンダ?」

 と聞いたら、彼は、

「ヨコオワ、イチニチニ、ナンドモ、メンドークサイ、トイウガ、コノ、メンドークサイトイウイミガ、シリタイ」と言うのです。

 言われるまで全く気がつかなかったが、メンドー臭いという言葉は僕の口ぐせで、一日に何度も口にするらしいのです。

 例えば、こんな風に。

「今日はメンドー臭いから、この仕事は止めよう」とか。

 かと思うと、次の日は、

「この仕事はメンドー臭いから、早いとこやっちゃおう」と。

 こんな風に、天気が変るように、コロコロとメンドー臭いの使いわけをしているらしいのです。これは言葉の綾ではなく、本当にその瞬間はメンドー臭いという言葉の意味に忠実に従っているのです。

 僕は他の日本の画家と比較すると、かなり多作の作家だと思います。もし本当に絵を描くのがメンドー臭いのなら、僕は寡作の作家で、1年に4~5点位しか描かないはずですが、メンドー臭いといいながら、年に100点位平気で描いちゃうんです。本当にメンドー臭がり屋だったらこんなに沢山描かないはずなのに、僕はメンドー臭いからという理由で、逆に1年に100点など全然苦にしないで描くのです。

 と考えると、メンドー臭いという言葉を僕は単に便宜上の意味で使っているのかも知れません。

 でも、そうではないのです。本当に辞書の「面倒」の項目に書いてあるように、「やるのがわずらわしい、やっかい」なのです。

 事を起こそうとする切っ掛けがわずらわしいのかも知れません。つまり、今からやろうとすることを想像するのがわずらわしい。でも、やってみると、意外とこんなものか、ということになるのかも知れません。

 以前、映画俳優の市川雷蔵の本を読んだことがあります。僕はこの本に出てくる雷蔵に物凄く共感して、まるで自分の自画像を見ているようだと思いました。僕の性格そのものだったからです。僕は白黒ハッキリしない人ですが雷蔵は「なまこの雷さまとはわてのこっちゃ」と自らののらりくらりの優柔不断を自認しています。また、雷蔵は「半分アホみたい」で「クニャクニャしていて、なるようになる」に任せる他力的な受け身タイプだったと書かれていて、まるで自分のことを言われているようなんです。

 とにかく雷蔵は何をするにしてもメンドー臭がる。監督のいいなりで演出にひとことも口を出さない、台本にチェックも入れない、とにかくメンドー臭いことはいっさいやらないと言うのです。

 この彼の生き方は自分に振りかかってくる運命をそのまま受け入れる生き方です。そこは僕の運命まかせの考えとそっくりです。似てないのは雷蔵は日本映画史に残こる絶世の美剣士。だけど素顔に戻ると眼鏡を掛けた、絵に描いたような銀行員の風貌に早変り。オーラのかけらもありません。

 最後に自分を雷蔵と同化してしまったけれど、メンドー臭いことの力強さを得たように思います。

 このメンドー臭い原稿からやっと解放されて、コンビニに向ったが途中コースを変更して、そば屋にと思ったが思わず寿司を買ってしまいました。実にメンドーなことをする自分だなあと思います。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年7月31日号掲載

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