清原和博は「天理」、桑田真澄は「上宮」に進学した可能性も…野球人生を変えた運命の“進路変更”
将来に大きな影響を及ぼす重要なファクター
天理といえば、清原和博(元西武、巨人、オリックス)も、奈良県出身の母に幼少期から「天理から甲子園に行ってほしい」と言い聞かされて育ったため、「自分ではずっと天理に行くというのが頭の中にありました」と回想している(『高校野球熱闘の世紀。』ベースボールマガジン社)。
だが、PL学園からも熱心に誘われたので、両校の練習を見て、進路先を決めることにした。
すると、天理は1年生がグラウンドの外で球拾いをしていたのに対し、PLは1年生も上級生にまじって練習していた。
この光景を見た清原は「PLのほうが野球うまくなるで」と直感し、PLを選んだという。
また、清原の同期・桑田真澄(元巨人、パイレーツ)も、中2の時点でPLに入学することが決まっていたが、中3のときに野球部顧問から「ほかの生徒もセットで受け入れてくれるから」とライバル校・上宮への入学を勧められた。
自著「心の野球 超効率的努力のススメ」(幻冬舎文庫)によれば、桑田は断ったが、野球部顧問は友情をタテに、セットでの入学を強要し、最後には「お前を絶対PLに行かせないぞ!」と言われるまでに話がこじれてしまう。学校内で孤立した桑田は、中3の3学期に転校する形で初志を貫徹している。
もし、桑田がPL入学をあきらめ、清原も天理を選んでいたら、PLの“KKコンビ”は存在しなかったことになり、1980年代の高校野球の歴史も大きく変わっていたに違いない。
日米通算201勝をマークし、2014年に野球殿堂入りをはたした野茂英雄(元近鉄、ドジャースなど)も近大付など地元の強豪私立のセレクションを受けたが、どこにも受からず、大阪府立の成城工に入学した。もし、強豪私立高に入っていたら、おそらくトルネード投法を矯正され、“無名の一投手”で終わっていたかもしれない。
野球選手の高校選びは、指導者との出会いも含めて、将来に大きな影響を及ぼす重要なファクターであることを改めて実感させられる。




