「彼は天才だった」「実はネタ帳を」…40年前に海で亡くなった奇才「たこ八郎」 “笑われていた”のではなく“笑わせていた”素顔

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大好きなサントリーのホワイトを水割りで

 他にも意外なことに、

「彼は新聞の切り抜きもしていました。例えばベトナム戦争当時のことです。たこちゃんはピンク映画の合間にやるショートコントで、女の子と一緒に布団に入って、『ベトナムでは戦争をしているのに、こんなことをしていていいのだろうか。いいのだー』なんてやっていたんですが、ちゃんと朝日新聞や東京新聞の記事を切り抜いていた。それでネタを考え付いたみたいなんです」(外波山氏、以下同)

 たこは笑われていたのではなく、笑わせていたというのである。しかし、彼の酒との付き合い方だけは、笑えるものではなかった。

「私の家にしょっちゅう居候していたので、『絶対に朝、昼は飲みません』とメモを貼らせていたんですが、朝、『トポトポトポ……』と音がするので起きてみると、たこちゃんが酒をコップに注いでいるんです。いつも、大好きなサントリーのホワイトを水割りで飲んでいました。緊張屋だったから、酒が入ったほうが人と話しやすかったみたいですね。でも酒は弱く、2、3杯飲んだらコテッと寝ちゃうんです」

目を離してほんの数分の出来事

 亡くなった日も、朝方、外波山さんらとともに神奈川県真鶴の海岸に着くと、周囲の観光客に勧められて焼酎を飲み、酔ったまま泳いで溺れてしまった。

「小さい頃、地元宮城の松島でよく泳いでいたらしく、たこちゃんは水泳が得意だったんですが……。遊泳地帯がブイで仕切られた普通の海水浴場でしたし、そこから外に出たわけでもなく、決して深い海ではなかった。ところが、気が付くと砂浜から20メートルくらいのところに、たこちゃんが俯(うつぶ)せで浮いていた。目を離してほんの数分の出来事でした」

 芸は計算していた節が見られたというが、自身の身の安全は計算できず、たこは海へと帰っていった――。

デイリー新潮編集部

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