プロでまさかの大化け! 高校時代の“補欠選手”から大躍進した「名投手列伝」

スポーツ 野球

  • ブックマーク

ピッチャーって楽しいな

 日米通算203勝右腕・黒田博樹(広島など)も上宮時代は、3番手投手(エースは日本ハム・西浦克拓)だった。高2秋の近畿大会では、リリーフとして準優勝に貢献も、翌春のセンバツは不祥事による推薦辞退の不運に泣いた。

 東都リーグの専修大入学後は、1年先輩の小林幹英(広島)とともに同校を2部から1部に昇格させ、1996年春のリーグ戦では、神宮球場を使用する大学生投手で史上初の150キロを実現。球界のレジェンドへの扉をこじ開けた。

“ミスター・サブマリン”の異名をとった渡辺俊介(ロッテ)も、国学院栃木時代は小関竜也(西武など)の控えだったが、大学、社会人で希少なアンダースローに磨きをかけ、2005年に15勝4敗、防御率2.17の好成績で球団の31年ぶり日本一に貢献した。

 日米通算134勝128セーブの上原浩治(巨人など)は東海大仰星時代、投手が別メニューでハードな練習を課せられることを嫌い、初めは外野手になった。だが、3年時にチーム事情から投手になり、3年夏の大阪大会では、エース・建山義紀(日本ハム)のリリーフとして好投。準々決勝で上宮に0対2で敗れたが、終盤の3イニングを無安打無失点に抑え、「ピッチャーって楽しいな」(自著『覚悟の決め方』PHP新書)と充実感を味わったことが、大学(大阪体育大)、プロでの飛躍をもたらした。

 また、日米通算112勝139セーブの斉藤隆(横浜など)は東北時代、内野手が本職だったが、上原同様、大学(東北福祉大)で本格派投手として覚醒し、プロ在籍24年間と息の長い投手になった。

 東北では、佐々木主浩(横浜など)の控えだった葛西稔(阪神)も法政大で通算18勝のエースに成長。1989年のドラフトで、東北福祉大の佐々木と揃って1位指名を受け、通算36勝29セーブを記録した。

 現役では、オリックス・平野佳寿(鳥羽)、ロッテ・澤村拓一(佐野日大)、阪神・湯浅京己(聖光学院)らが、控え投手からの躍進組である。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。