美川憲一、歌手生活60年。発売当時は売れ行き“低調”だった「さそり座の女」をスターダムにのし上げた盟友・コロッケとの“ドッキリエピソード”を明かす
大掛かりなドッキリが大成功、“偉そうキャラ”が淡谷のり子さんに刺さる
その後、年が明けた1989年のお正月のモノマネ特番で、コロッケが美川のモノマネで出るというのを知った際、美川はある行動に出た。
「これは張本人が登場したら面白いんじゃないかってビビっとくるものがあって、コロッケの歌の途中から、サプライズで出ることにしたんですよ。当時は、歌手がこういったお笑いの番組に出ていくということはなかったけれど、テレビもご無沙汰しているから、お正月に出れば話題になるかも……と思って。それで当日、誰にもバレないように内緒で、楽屋もない、幕で覆われた所に隠れていたんです。もちろん、コロッケもまったく知りませんでした」
実際、1コーラスをコロッケが美川になりきって歌った後、間奏になってステージの後ろから美川が飛び出してきて、コロッケは大慌て。美川が仕掛けたドッキリは大成功となり、この“ご本人登場”も定番化していくことに。
「あの番組は淡谷のり子さんが審査員でいらっしゃったから、私がサプライズで出ていったら、大喜びなさっていて。淡谷さんは、人に媚びるようなタレントが大嫌いだから、私も強気で行こうと気持ちが高ぶってきたんです。それで、わざと偉そうに、“来てやったわよ、フン!”という態度で通して、歌い終わってから司会の方に感想を聞かれても、“いい迷惑よ”と不機嫌そうに言ったら、それも淡谷さんに大ウケで、会場中が大爆笑になって。そこから街中の空気が変わり始めたんです」
秋元康の作品に惚れ込み作詞を依頼、翌年にはCMもヒットし“紅白”に返り咲き!
正月のモノマネ番組でコロッケとの共演を企てた美川だが、同年半ばには秋元康に声をかけ、彼が作詞、小林亜星が作曲を手がけたシングル「てんで話にならないわ」というユニークでノリの良い楽曲を残している。今回のSpotifyランキングでは圏外だが、そのインパクトのあるタイトルやサビのメロディーから、覚えている人も少なくないであろう。
「秋元さんとは、ここから作品をいろいろと書いていただいて仲良くなりました。当時、新宿のゴールデン街に作家の方たちがよく集まっているようなお店があって、そこで彼が作詞した美空ひばりさんの『川の流れのように』を発売前のデモテープで聴かせていただいたんです。そうしたら本当に素晴らしくて、“こんな歌を歌いたい!”と思い、依頼しました。この頃、なんとなく周りの空気感が変わってきましたね。それで、“今だ、しっかりやらなきゃ……”と思って、一生懸命に仕事を頑張っていたんです」
美空ひばりには、人生を見渡すような歌詞を提供しつつ、美川憲一には、コミカルで中毒性の高い歌詞を提供するという秋元康の守備範囲の広さは当時からすごかったが、そこからすかさずヒットを目指す美川のセンスも見事だ。
さらに、その翌年には、こちらもコロッケのモノマネレパートリーでもある歌手のちあきなおみと『タンスにゴン』のCMに出て、「もっと端っこ歩きなさいよ」と言い放ったのも話題となり、美川自身も「ちあきさんとの共演が大きかった」と振り返る。
そうして'91年末には、ついに17年ぶりに『NHK紅白歌合戦』に復活出場となり、恩人でもあるコロッケとの共演を果たすのだった。
ここまでの復活劇について、美川は、一つひとつのプロセスをとても丁寧に答えてくれ、いきなり再ブレイクしたのではなく、3年がかりで着実にステップアップしていったことがよく分かった。テレビではド派手なご意見番のイメージが強いかもしれないが、実際は、謙虚でいつつも、相手を喜ばせようという意欲に満ちていて、再ブレイクも必然だったように思われる。
次回は、ご当地ソングの定番となった「柳ヶ瀬ブルース」や、復活後19年連続出場となった『NHK紅白歌合戦』のエピソードについて語ってもらおう。
【INFORMATION】
◎デビュー60周年記念シングル発売中
表題曲「これで良しとする」、カップリング曲「華散れど月は輝く」ともにB'zの松本孝弘さんが作曲、GLAYのTAKUROさんが作詞を担当。60周年にふさわしい楽曲となった本作をご堪能あれ!
◎コンサート情報
・2025年7月20日「斎藤絹枝ふれあい歌踊チャリティーコンサート」ゲスト出演
会場:神奈川県愛川町文化会館ホール
・2025年7月24日「東京都 美川憲一・コロッケスペシャルコンサート」
会場:J:COMホール八王子/チケット:全席指定7700円
詳細は公式ウェブサイトにて






























