大谷翔平だけではない!オールスターで打撃でも活躍した投手列伝 巨人・水野雄仁は“サヨナラ犠飛”の快挙達成!

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僕は当たれば飛ぶんや

 投手ながら1963年5月12日の東映戦ダブルヘッダーで、第1試合に3番ピッチャー、第2試合に3番ファーストで出場したことで知られる“元祖二刀流”梶本隆夫(阪急)も、金田と同じ68年の第2戦で9回に代打タイムリーを放っている。

 投手として球宴史上初の快挙を達成した試合で、豪快な本塁打を放ったのが、阪神時代の江夏豊だ。

 1971年の第1戦、初回に3者連続三振と好スタートを切った全セの先発・江夏は、2回表、武上四郎(ヤクルト)のタイムリーで1点を先制し、なおも2死一、二塁で打順が回ってくると、米田哲也(阪急)の2球目、高め直球をフルスイング。

 凡退して「早くマウンドに戻りたい」一心からだったが、ジャストミートされた打球はグングン伸び、右翼席後方の屋根を直撃してポーンと弾むと、なんと、場外に消えていった。

 打者も顔負けの特大3ランに、全セ・川上哲治監督(巨人)は「それにしても、あのホームランは凄かった」と目を白黒。江夏も「オープン戦で打ったのと合わせて、今季2本目。僕は当たれば飛ぶんや」と胸を張った。

 会心の一発で乗りに乗った江夏は、投げるほうでも3イニング打者9人を全員三振に打ち取る“神ピッチング”を披露。9者連続三振は球宴史上初の快挙だった。

“江夏ショック”に陥った全パの各打者は、江夏降板後もサッパリ打てず、まさかのノーヒットノーラン負け。これまた球宴史上初の珍事に、全パ・濃人渉監督(ロッテ)は「江夏が速くて良かった。それに一発打たれたのも痛かった」と脱帽するばかりだった。

投手がサヨナラ劇の主役に

 ちなみに、球宴で本塁打を打った投手は、江夏と1960年第3戦の巽一(国鉄)の2人だけ(2016年第2戦の大谷はDHで出場)。くしくも打たれた投手は、どちらも米田だった。

 高校時代の強打を買われて代打に起用された投手が、見事サヨナラ犠飛を打ったのが、1988年の第3戦だ。

 3対3で迎えた延長12回、全セは先頭の正田耕三(広島)が右中間に三塁打を放ち、広沢克己(ヤクルト)も四球で、無死一、三塁と一打サヨナラのチャンス。

 次打者は投手の中山裕章(大洋)なので、当然代打だが、総力戦ですでに野手を使いはたしていた。

 ベンチの王貞治監督(巨人)が「(投手の中から)誰を代打に送ろうか?」と相談すると、落合博満(中日)はじめ全員が「水野(雄仁=巨人)、行け!」と叫んだ。

 水野は池田高時代に“やまびこ打線”の4番を打ち、夏の甲子園で満塁本塁打を打った強打者とあって、王監督も「思い切って行け!」と送り出し、チームの先輩・原辰徳も「これを使えよ」と愛用の黒バットを提供した。

「あんなに緊張したのは初めてです」と半ば夢見心地で打席に立った“阿波の金太郎”だったが、そこは昔取った杵柄。カウント1-2から牛島和彦(ロッテ)の4球目、「ストレートが来る」と読み、狙いどおり、直球をフルスイングすると、快音を発した打球はあわやサヨナラ3ランという大飛球になった。惜しくもバックスクリーンの1メートル手前で佐々木誠(南海)に捕球されたものの、殊勲のサヨナラ犠飛に。投手がサヨナラ劇の主役になったのも、サヨナラ犠飛による決着も、球宴史上初の珍事だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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