早熟すぎたグラドルが「胸の大きさ」で得たもの、失ったもの 学校裏サイトで“ランキング1位”にされた中学時代

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なぜ進学校に?

――高校生時代はどんな風に過ごしたんですか。

和地:当時の栃木ってヤンキーブームがすごくて。ある程度の進学校じゃないと、ピアスとかつけていたら、先生がピアスごとむしっちゃうような学校に行かなくちゃいけないんですよ。それで「これはなるべくいい学校に行かないと、いじめられるぞ」と必死に勉強しました。当時は勉強ができたので、栃木で一番頭のいい女子校に行きました。

 とても自由な学校で、ロリータ服で登校する子や、ぬいぐるみを自分の机に並べる子とか、変わり者の巣窟でしたね(笑)。楽しかったです。あんまり目立たなかったと思うんですけど、後々ファンクラブはあったって聞きました。ただ高校2年でオーディションを受けて、地下アイドルグループに入ってからは学校に行かなくなりました。

――それはどうしてですか?

和地:アイドルが忙しくて。東京から終電で栃木に帰ると深夜2時くらいに着くんですよ。なので学校に行っても眠いから保健室で寝ちゃうんで。やばいですよね。

 しかも4か月ぐらいでやめました。プロデューサーが逮捕されたんですよ。父親は警察官だからやばいとなって卒業しました。その後は東京の大学に行って、ダブルスクールで声優学校に行きました。

声優は清楚でないと難しい→グラビアコンテストでセミファイナルに

――なぜいきなり声優を目指したんですか?

和地:もともと演技がやりたかったんですけど、一番最初の事務所で「身長が低いと難しい。まずは名前を売ってからやりなさい」と言われていたんです。それで声優さんだったらいいかなと思って。学校には特待で入ったんですけど、目立っていたので、そこでめっちゃいじめられて。当時は声優は清楚でないといけないという感じで、胸が大きいことは逆によくない雰囲気もあったんですよ。

 声優は難しいかもと少し思い始めていた時に、自分の取柄はやっぱり胸かもと思って「ミスヤングチャンピオン」に応募したらセミファイナルまで残ったんです。それで「これはグラビアを継続した方がいいかな」と思って、撮影会に出るようになったんです。

――どうでしたか、撮影会は?

和地:その当時の撮影会って今と違って混沌としていて。お客さんも小さいカメラを胸のところまで持ってきたり、「このぬいぐるみを持って」と言われたぬいぐるみが磯臭い変な臭いがしたり(苦笑)。あと、向こうも良かれと思って「大きいですね」と言うんですけど、大学生だったので、ちょっと抵抗はありました。

 その頃には別の声優学校にも特待生として通っていたんです。将来グラビアと声優のどっちに行けばいいのか迷っていたので、占いに行ったんですよ。占いの結果は声優だったんですけど、占い師のおばちゃんに「でも私は絶対顔出しの芸能をやった方がいいと思う」と30分間説得されて。それでグラビアを選びました(笑)。

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