国会議論は行き詰まり、宙に浮く「皇位継承問題」…愛子さまと悠仁さまの未来はどうなるのか?
皇統断絶とは背中合わせ
だが別の宮内庁OBは、こう推測する。
「秋篠宮家の長女・小室眞子さんの結婚がなかなか成立しなかった要因は、小室圭さんの母・佳代さんの金銭スキャンダルでした。親の行状は子供の将来にも影響を与えるという最たる例です。旧宮家、それも男系男子となると、極めて限られた狭い選択肢です。表現は適切ではないかもしれませんが、SNSで“狙い撃ち”にされる危険性は高いと言わざるを得ないのではないでしょうか」
佳子さまの誕生から12年の年月を経て、悠仁さまは2006年9月7日、東京都港区にあった愛育病院で誕生された。体重は2558グラム、身長は48.8センチ。皇族では初の帝王切開によるご出産となった。手術は午前8時23分に始まり、同9時7分に終了。同日午後には「賜剣の儀」が行われた。
誕生を控えた7月18日には宮内庁の金沢一郎皇室医務主管(当時)が記者会見し、紀子さまの胎盤がずれており、大量出血の恐れがある「前置胎盤」の状態であると発表。帝王切開する可能性を事前に示唆していた。実は悠仁さまは、前置胎盤の影響で母体内での発育が思わしくなく、出生体重が2500グラム未満の低出生体重児となる可能性があった。
かつては未熟児と呼ばれたため、「未熟」という悪いイメージを持たれかねないとして、金沢氏はオフレコで説明した後に「仮に2500グラムを下回っても、決して未熟児とは呼ばないように」と何度も何度も念を押し、神経を尖らせていたという。
前置胎盤は、母体を中心に生命の危険が当時は0.2パーセント程度に低下していたが、以前は10パーセントに上った。帝王切開に至ったことについて、上皇后美智子さまはこの年の10月、誕生日に当たり公表した文書で、こう語られている。
「私が初めて子供を授かった四十数年前、前置胎盤は非常に恐れられていた状態でした。特に当時まだ20代半ばであった私は、お産は太古も今もそう変わるはずはないという思いから(中略)大層心配いたしました」
ご生誕の際、既に母子で生命に危険が及んでいた悠仁さま。現在の皇室制度では、万が一にも病に倒れたり交通事故に巻き込まれたりした場合、セーフティーネットのシステムがいまだ全く整備されていない現状では、誰も天皇にはなれず、皇統は完全に断絶することとなるのだ。
8人の女性天皇のうち、3人目の持統天皇は一説に次期天皇の最有力候補だった草壁皇子が病気で亡くなったために急遽即位したと言われる。最後に宮内庁関係者はこう語る。
「結論の先延ばしは悠仁さまの将来も愛子さまの行く末も翻弄する結果を生むだけです。皇統のセーフティーネットの具体像を決めねばならないタイムリミットは、もう来ているのです」
【注1】
「若い世代の皇族」の「若い世代」は厚生労働省の規定する「若者」の「15~39歳」に基づく。そのため彬子さまと瑶子さまは割愛した。
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