ASKA、松山千春ら「ご本人」の前でカバー曲披露… 異色のライブを続ける長江健次のリスペクトと覚悟

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第1回【ずっと歌手をやりたかった「フツオ」 “たいして歌も上手くなく…”諦めかけた長江健次の背中を押した言葉】のつづき

 一時は音楽の世界から遠ざかっていたものの、2012年から音楽イベント「長江健次CAFE」を始めたことで、ふたたび情熱を取り戻した長江健次(61)。自身のオリジナルソングを歌うライブだけでなく、リスペクトする歌手の曲を歌う公演も人気だ。その歌手ご本人が出演し、話題を呼んだこともあるが、すべて自身の人脈から実現させた。「イモ欽トリオ」復活も、こうしたプロデュース力のたまものだ

(全2回の第2回)

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「健ちゃんやからやで」

 2023年1月7日。「長江健次CAFE Vol.10」として、東京・町田のライブハウス「まほろ座」で開催されたライブに、ASKAがゲストとして出演した。CHAGE&ASKAのライブで長年ギタリストを務めた近藤敬三も出演ということもあって、約60席のチケットは瞬く間に完売。ライブでは、長江がASKAの目の前でCHAGE&ASKAやASKAソロの曲を熱唱し、ASKAも2曲を歌って会場は大歓声に包まれた。また、同月26日の神戸・チキンジョージで行われた松山千春のカバーライブでもご本人が出演。事前に「お前な、ホントに2、3曲でいいんだな?」と念押ししたという松山だが、当日はトークも交えつつ4曲を歌った。

「そういう流れで、杉山清貴さん本人の前でも歌いましたね。2016年のライブを始めとして出てくれた角松敏生さん、2018年の『サザン&桑田カヴァー』ではサザンオールスターズのドラムスの松田弘さんもそう。ほかにも杉真理さんのバックに野村義男さんに出てもらったり、井上昌己の時には、元モーニング娘。の加護(亜依)ちゃんにも出てもらって一緒に歌ったり。松田さんにオファーしたときは、事務所の方に『健ちゃんやからやで』ってOKもらいましたよ。相当、無茶なお願いをしてきたと思う。でもそのつながりから縁ができて、久宝留理子さんには曲を書いてもらうようになったしね」

 松山には昔から可愛がられていたが、自身の結婚や離婚、スノーボードに夢中になっていた時期もあり、疎遠になっていたという。だが、時代劇「水戸黄門」の撮影で京都に通っていた頃、たまたま、滋賀・大津でコンサートがあると知って、松山の楽屋へあいさつに行った。第一声は「バッカ、元気にしてたのか?なんで顔出さないんだよ?」。そのやさしさに号泣したという。

「なんで拗ねてたんだろうと思いましたね。僕はよくも悪くも拗ねるタイプなんです。仲良くしていた相手に、自分より仲がいい人がほかにもいたりするとね。そんな不義理をしても、懐の大きな人たちは、みんな許してくれました」

 笑福亭鶴瓶もその一人だ。もとは「欽ドン!」を降板し、大阪で芸能活動を再開した頃に「突然ガバチョ!」で一緒に司会を務めていた仲。その鶴瓶にも「長いこと不義理していた」が、再会した際に「お前はな、テレビ番組のMCとして番組を仕切るような位置におらんとあかん人やったんやで。俺とかさんまとか使うてエエねん」との言葉をかけられたという。

 ASKAとはすでに40年来の付き合いで、上京してきた当時、互いの家が5分と離れていなかった。しょっちゅうASKA宅を訪れていたそうだ。アーティストではなかった「イモ欽トリオ」が先に売れて、「どうやったら売れるかな」とASKAに相談されたこともあったという。

 こうした過去もあり、長江健次CAFEに関しては“拗ねる”ことを封印し、結果、多くのアーティストとつながってきた。年上や同世代のアーティストに限らず若い層とも縁ができ、たとえば一回り以上下の「キンモクセイ」のメンバーとは「ケンモクセイ」名義でライブを開催した。

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