「東京タワーによじ登るのだと勘違いした息子が…」 歌人・田中有芽子が「東京」について詠んだ短歌の内容とは
東京について詠んだ短歌
東京について短歌を詠んだことあったかな、と自分の歌集をひもといた。
ジャングルジムみたいに登ると思っていたの吾子(あこ)と東京タワー(『私(わたくし)は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』より)
札幌から私の父が遊びに来た。まだ小さかった息子と高齢の父と私とで行く手近な観光として東京タワーを挙げると、息子が首を横に振る。眺めいいし、ちまっとおもちゃ買ってもいいんだよ? 息子は浮かない顔で、「疲れる」「落ちたら怖い」など。どうやら東京タワーをジャングルジムの要領で手足を使ってよじ登ると思ったらしい。それ、楽しそう。うそんこのほんとで登ろうか。その日、東京タワーの赤い鉄骨を触るとほの温かかった。もう夏だ。三人で333メートルの高みを目指して、腕を伸ばし脚を曲げ、脚を伸ばし腕を曲げを繰り返す。怖がった割に身が軽い分どんどん登る息子が時折振り返る。今朝、紙おむつを着けて登ることをきっぱりと拒否した息子。急にお兄さんになったみたい。胃の全摘出後めっきり痩せた父も健闘している。昔は炭鉱に勤めて地球の中心に届きそうな縦の穴を登り降りしていただけある。私の肺は燃え出しそう。一休みしようと提案し、各自のバランスで鉄骨に座る。青い空を渡る風が火照った頰に気持ちいい。もう一頑張りだね。今、私たちはいい顔をしている、と思った。不意に父が悲鳴を上げた。カラスが鋭いくちばしで襲ってきた。息子が素早くポケットからあめを出して投げつける。息子のおやつだ。カラスはあめをくわえて飛び去った。「包装、むいてあげた?」「もちろん!」危機一髪だった。私達は無事、3世代でトップデッキを超えて本当のトップに到達した。見下ろした街はくっきりと鮮明で、全ての窓が開け放たれていた。それは疑いなく「わたしの東京」の風景だった。
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