なぜ「夫婦の肖像画」は存在しないのか 世界で初めて?描いた横尾忠則が考えるその理由
今、GUCCI銀座ギャラリーで僕の「未完の自画像-私への旅」展を開催中です。新作(家族の肖像)と共に様々なスタイルの旧作も展示しています。他に瀬戸内海「豊島(てしま)横尾館」の展示作品をプリマグラフィという技術で原寸化した作品に赤い足場を組んだままのディスプレイなど。このイメージは1970年大阪万博の「せんい館」のパビリオンを建造したスタイルの反復作品でもあります。8月24日まで開催しているので、銀座に立ち寄られたらぜひ鑑覧(無料)していただけると嬉しいです。と、ここまで書いた時、10月まで延長というニュースが入りました。
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そんなわけで、ちょっと展覧会の案内をしてしまいましたが、今回のエッセイのテーマは、実は夫婦の肖像画(も本展に出品しています)について書いてみたいと思うのです。
大方の画家で自画像を描かない画家はほとんどいません。ピカソもキリコもデュシャンもダリもウォーホルも皆んな描いています。なぜ自画像を描くのかはそれぞれの画家によって理由があると思います。
では僕はなぜ描くのか、それほど深く考えたことはありませんが、最初に描いたのは挿絵の通信教育を受けている時に、初めて与えられたテーマが自画像だったのです。そこで僕は鏡を見ながら、かなり克明な鉛筆画による自画像を描いたのが最初でした。
その後、グラフィックデザイナーから画家に転向した時、先ず最初に150号の大きい自画像を描きました。
そして今回、GUCCIでの個展に新作の自画像を1点描きましたが、他の4点は夫婦のツーショットと家族4人の群像です。
今回、夫婦像を描こうとして、ハタと考え込んでしまいました。それは美術の過去の歴史の中で自身の夫婦像を描いた画家がいないことに気づいたからです。画家の妻を描いた絵はピカソ、セザンヌ、キリコ、ダリと何人もいますが、こと夫婦像に関しては過去の美術の文脈の中でも全く見当りません。
これはなぜでしょう。先ず僕には思いもよらないことが理由の第一に上りそうですが、夫婦のツーショットは写真ならともかく、自分の配偶者である妻と一緒に並んだ絵はどこか恥ずかしいと考える画家が多いのではないでしょうか。なぜ恥ずかしいのかわかりませんが。
僕はかつて結婚式のツーショットの絵を描いていますが、別に恥ずかしいとも何んとも思わないで描きました。またこの絵を美術館が何の抵抗もなくコレクションしてくれています。
夫婦の肖像画を画家が主題にしないのは芸術になりにくいからでしょうか。ではなぜ芸術にならないのか、この問題に解答を与えた画家も美術評論家も世界中でひとりもいません。
そうすると夫婦画はタブーということになります。誰も手をつけないということはタブーです。しかし、芸術はタブーを描くことによって芸術になるんじゃないでしょうか。
だったらタブーであるかも知れない夫婦の肖像画は立派な主題になります。なのにどうしてタブーを避けるのでしょうか、おかしいじゃありませんか。ピカソ、キリコに是非聞きたいと思います。
「あなたたちは配偶者の肖像画を描いたにもかかわらず、なぜ妻の横に並んで立った自分は描かなかったのですか。そして描かないことでこの主題をタブーにしてしまったことをどう思いますか」
僕が今回、世界で初めて? 夫婦一対の肖像画を描きました。つまりタブーを犯かしたのです。でもこの作品を見た美術評論家も学芸員も知識人も何も語ろうとしません。変だとも思っていないようです。
夫婦のツーショットは社会が公認しないほど恥ずかしいもので、けがらわしい主題なんです。誰もが口をつぐんだまま、この主題に関して言葉を封印したままです。
自画像を描く僕は自分という存在が謎だから描くのです。自分である自分の存在がわからないのです。だから絵になるのです。
しかし、ここで一歩引いて考えてみれば、自分の存在がわからないと同時に妻の存在もわかりません。わからない者同士が二人並んでいるのがタブーなんでしょうか。そんな馬鹿なことはありません。
以前、僕が家族4人をバラバラに4点描いた時、「なぜ?」と問われて、なんとなくメンドーくさくなって「イコンです」と答えたことがあります。すると質問者はわかったのかわからないのか、「あゝ、なるほどねえ」と言いました。
しかし、なんとなく口をついて出たイコンとは、聖画像のことです。礼拝の対象であるマリア、キリストを描いた絵です。夫婦の肖像画に適当な言葉が見つからないのは、実はイコン、つまり夫婦を聖画像のように感じるというか、見てしまう、やはりそこにタブーの概念を誰もがなんとなく、感じてしまうからでしょうか。すると夫婦の存在自体に宗教的な謎というか不思議というか、神秘性があるのかも知れませんね。じっくり考えてみたいと思います。


