ロッテ・ポランコ以前にもあった「肉体的援助」の“珍事件” 高校野球ではハイタッチに適用されてアウトに…「高校生として見苦しい行為」
6月29日のロッテ対ソフトバンクで、7回にロッテの一塁走者・ポランコがソトの右中間二塁打で三塁を回った際に、大塚明三塁コーチと接触。公認野球規則6.01(a)(8)に定められている「肉体的援助」でアウトになった。字のとおりに読むと生々しく、卑猥な印象も受ける言葉だが、過去にもこの「肉体的援助」が適用された例が何度かあった。【久保田龍雄/ライター】
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高校生らしくないパフォーマンス
まず有名なのが、1985年夏の高校野球西東京大会2回戦、南野対永山で塁審が下した“行き過ぎ判定”だ。
0対0の2回、南野は無死一塁で、6番・斉藤俊一が左越えに先制2ランを放った。
公式戦初本塁打に大喜びの斉藤は、三塁を回る際にコーチャーズ・ボックスを飛び出してきた三塁コーチの部員と、プロ野球でも見られるような右手と右手をパチンと叩き合うパフォーマンスを行った。
ところが、これを見た塁審は「高校生として見苦しい行為」として、肉体的援助を適用。斉藤にアウトを宣告した。斉藤の本塁打は記録上三塁打となり、得点も一塁走者の1点だけが認められた。
思いがけないペナルティを受けた斉藤は「公式戦で初のアーチが幻となって悔しい。規則にそんなものがあるとは知らなかった」とガックリ。
執印泰幸監督も、本塁打の瞬間、選手たちがベンチから飛び出す騒ぎの収拾に追われ、「(最初は)これをペナルティとしてアウトを宣告されたと思った。私自身浮足立って(判定への)アピールにまで気が回らなかった」と戸惑いを隠せなかった。チームは本塁打が取り消された影響もなく、4対0で勝利したが、あと味の悪さが残ったのも事実だった。
「肉体的援助」は、ヒットなどで走者が次の塁に進むか、前の塁に戻る行為を第三者が物理的にサポートすることを指しており、本塁打の場合は、プレーに何ら影響はない。また、走者と三塁コーチがタッチし合う行為もペナルティの対象にはなり得ないことから、都高野連もこの判定を問題視。「審判のミスと言われてもしょうがない判定でした」(山本政夫理事長)と“勇み足”を認め、担当4審判にルールブックを再読するよう指導した。
当時は“高校生らしくない”パフォーマンスに対して審判がルールを拡大解釈してアウトを宣告するという衝撃的な出来事のインパクトが強かったことから、「肉体的援助」という言葉自体はそれほど話題にならなかった記憶がある。
霞む「肉体的援助」
無死満塁のチャンスが、「肉体的援助」で2死二塁に早変わりする珍事が起きたのが、2008年4月26日の横浜対広島だ。
横浜の先発・三浦大輔の前に6回までわずか1安打に抑えられていた広島は、0対1の7回、アレックスが三ゴロエラーで出塁し、反撃の狼煙を上げる。
次打者・栗原健太も中前安打で続き、前田智徳もバントの構えからバットを引いたのをスイングと判定され、ブラウン監督の退場劇を誘発したが、試合再開後、右前安打で無死満塁とチャンスを広げる。
そして、シーボルも右中間に長打コースの打球を放ち、三塁走者・アレックスが同点のホームを踏む。
ところが、二塁走者・栗原が「(ライト・吉村裕基が)捕球すると思っていたら、抜けたので慌てて走った」と躊躇したことが裏目に出て、一塁を回ったシーボルは二塁に進めなくなり、外野からの返球でタッチアウト。この間に栗原は一気に本塁を狙ったが、今度は制止しようとした高信二三塁コーチと接触し、肉体援助でアウトが宣告されてしまう。結局、この回は同点止まり。高コーチも「次はやらないようにしたい」と反省しきりだった。
だが、反撃ムードに水を差すボーンヘッドにもかかわらず、勝利の女神は広島を見放すことはなかった。8回に代打・緒方孝市が決勝の中越えタイムリー二塁打を放ち、2対1で執念の逆転勝ち。
さらに、通算6度目の退場となったブラウン監督が、6試合のいずれも退場後にチームが勝利するという珍事も大きく報じられたことから、「肉体的援助」の珍プレーは霞んでしまった感がある。
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