女子アナにとって管理職昇進は「ご褒美」ではない? フジ・佐々木恭子アナの昇進に見る、「花形」職業の「夢の終わり」
適性のなさを人気女子アナほど自覚する? 管理職という女子アナの「夢の終わり」
当の女子アナたちこそ、世間や周囲の視線を肌で感じ取っているはずだ。自分が「花形」として輝くことと、組織をマネジメントする冷静さは相反する部分もある。むしろ周囲の顔色を読み取ることばかり訓練させられてきた女子アナほど、管理職適性のなさを敏感に感じ取ったことだろう。画面での「親しみやすさ」「かわいらしさ」が、職場では「なめられやすさ」につながることもある。だからこそ、表舞台で築いた自分のキャラクターと、裏方としての適性にギャップを感じ、「私は管理職向きではない」と静かに身を引く女子アナもいるのではないだろうか。
夢の職業として女子アナを目指した若者たちが、その先に見る夢は、決して画面の中だけにとどまらない。だが、「出世=夢の続き」とは限らない。むしろ自分の「見せ方」に敏感だからこそ、視聴者の目や、現場の空気や、局内の人間関係を察し過ぎてしまい、自ら次のキャリアを閉ざすこともあるに違いない。
管理職への出世は、女子アナにとってご褒美か「夢の終わり」か。佐々木アナに重責を負わせ過ぎるのも気の毒だが、佐々木アナの今後の歩みを、社内に限らず多くの女子アナが見つめているのではないだろうか。
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