落語を「面白い」「退屈」と感じる違いはどこにあるのか 志の輔師匠に聞いてみた

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笑うから次に行ける

「ゲラゲラ笑う、というよりはお客さんが思わず笑ってしまう、というぐらいに笑い声が出るのは、お客さんの集中力にかかっているんですよ。笑わせるんじゃないんですよ。お客さんが自然に笑うという状況に持っていく材料をしゃべっている。話の中にはお客さんが集中しているかどうかわかるポイントがいくつかあって、それがうまく行っている時と、うまく行っていない時とがある。そしてうちには弟子が8人いるけど、さあどの弟子がここで笑わせられるのか、できないのか、そうすると比較が始まる。それは集中力の前に、何か邪魔になるものがあるんですよ。落ち着かないとか、口調が早い、とか。『あ、もうちょっとゆっくりしゃべればいいのに』と思うと、もうもうダメなんですよ」

 ここである。

 志の輔らくごの出発地点はここにある。「落語は弱い芸能である」ということ、そして「人は集中力を持続させるのが難しい生き物である」ということの、この大前提から出発しているのが志の輔らくごなのだ。

 だから客の集中力を削ぐあらゆるものを取り除く努力を怠らない。客は最初から研ぎ澄まされた集中力とイマジネーションを持ち合わせているわけではない。志の輔に助けられて、自分の中にある微かな集中力とイマジネーションをフルに稼働させてもらっているのだ。

 例え大ホールの3階最後列の席から、落語を演じる立川志の輔の後頭部を見つめながら聞いていても、それでもただ自分のためだけに語ってくれているように心に響いてくる。志の輔の落語への愛と、歩んできた人生と、目の前の客への想いからの一体感である。その場限りの形に残らないはずのライブが、鮮明にいつまでも心に残ってゆく。

土居彩子(どい・さいこ)
1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。

デイリー新潮編集部

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