33歳でタイトル戦に初挑戦 「藤井聡太棋聖」との対局で話題の棋士「杉本和陽六段」が振り返る“沼にハマった下積み時代”

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「決して優等生とは言えなかった」学生時代

 杉本氏が6年間を過ごした攻玉社中学・高校は、東京都品川区にある男子校で、1学年の生徒数は240名ほど。原則として高校からの募集は行わない完全中高一貫校だ。創立は1863年(文久3年))と古く、海軍兵学校として広瀬武夫、鈴木貫太郎ら多くの著名人を輩出した。偏差値は66~72(首都圏模試センター)で、近年は堅調な進学実績で存在感を示している。

「たしかに勉強は大変でしたけど、厳しさと穏やかさが混ざり合った校風が僕には合っていたと思う」と母校の印象を語る杉本氏。その学生時代は、「髪を染めて学校に行って怒られたり、放課後の生活指導室に呼ばれて反省を促されたりしましたし、決して“優等生”とはいえなかったと思います」とのこと。月に2回行われる対局のために学校を休むことも多く、「大学受験を見据えて高校3年間の学習範囲を高校2年までに終わらせる学校のカリキュラムについていくのは大変だった」と当時を振り返る。

「現代文や社会科は得意にしていましたが、英語や数学は、入学早々に挫折しまして……(苦笑)。成績の良い知人にノートを借りて、何とか試験を乗り切っていましたけど、だんだん将棋に軸足を置いた生活をせざるを得なくなり、勉強に対する熱はさほど高くありませんでした」

 高校では文系の進路を選択。多忙なスケジュールの中で、科目別に時間を区切り、メリハリをつけながら勉強していたという。

「沼にハマった」三段リーグの記憶

 17歳で迎えた2008年からは「棋士の登竜門」とされる三段リーグに参加。「すぐに四段に昇格し、棋士として生活できると思っていた」ことから大学進学の道には進まず、夢に向けて全力で精進することとなったが……。思わぬ形で苦戦を強いられる。

「まさか、あそこまで沼にはまるとは思いませんでした」

 杉本氏のように奨励会を経て棋士を目指す場合は、満26歳の誕生日までに年に2回行われる三段リーグで上位2位以内に入り、四段に昇格する必要がある。他にもアマチュアの大会で好成績を残して編入試験を受ける道も残されているが、年齢を重ねるにつれて、棋士になる可能性は限りなく低くなるのが現実だ。

 杉本氏は三段リーグで善戦するも、わずかに昇格には及ばない時期を過ごし、いたずらに時間が過ぎ去った。さらに杉本氏が21歳だった2012年には「当然のように僕が10代のうちに四段に昇格すると思われていたので、心配をかけてしまった」と話す師匠の米長邦雄氏が永眠。無念さやプレッシャーも襲いかかった。

「僕の20代前半は『暗黒時代の真っ只中』でした。大学に進んだ同級生が就職を、後輩の棋士が四段昇格を次々と決めていく中、自分だけが取り残されていることへの劣等感があって、人目を避けるようにしながら毎日を過ごしていました」

 だが、刻々とタイムリミットが迫るなか、杉本氏は孤独と向き合いながら実力を磨き上げていった。

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