「名門企業の経営者のはずが、“親の顔が見たい”と言われることに」 亡くなった安倍昭恵さんの父・松崎昭雄さんの「森永製菓社長」としての顔

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「家同士ではない自由な付き合い」

 約3年を経て結婚に至る。

「家同士ではない自由な付き合い。晋太郎さんも洋子さんも喜びました」(濱岡氏)

 政治評論家の小林吉弥氏は振り返る。

「閨閥づくりとの声も上がりましたが、森永製菓社長という良家なら釣り合いが取れるぐらいの感覚で、資金源とは捉えていなかった。松崎家側も名声や権力とのつながりを狙っていない」

 晋太郎氏が91年にがんで他界。晋三氏は93年の衆院選に立候補し初当選するが、昭雄氏は政治と距離を保つ。

「娘の婿を応援する気持ちはあっても、思想や信条を深く知ろうとしている印象は受けなかった。昭恵さんのあっけらかんとした面は昭雄さんに似ている気がします」(濱岡氏)

「親の顔が見たい」と言われることに

 昭雄氏は京セラの稲盛和夫氏ら多くの日本企業の幹部から支持を集めていたインドのマハリシ師の超越瞑想や座禅を実践、気分を和らげ経営に携わっていた。

 97年、妻の弟、森永剛太氏に社長を引き継ぎ、代表権のない会長に退く。経営に口出しをしなかった。

 2006年、晋三氏が総理に。昭恵氏の型破りな言動が耳目を集め始める。

「あなたが連れてきたのよ、と洋子さんは私に厳しい言葉をおっしゃった」(濱岡氏)

 昭恵氏が森友学園問題の渦中にあった17年、安倍総理主催の「桜を見る会」に夫婦で姿を見せた。「週刊新潮」の取材に昭雄氏が「最近は総理とお会いする機会も少なくてね」と語り、恵美子夫人が言葉を引き取って「娘からも連絡はなく、さまざまなことは報道で知るばかりです」「娘の行動に悪気などないということは、よく解っていますから」などと話した。総理と娘を遠目に眺め、手は振るが近づかなかった。

 6月25日、92歳で逝去。

 親が敷いた人生のレールを歩ませなかったと語り、わが子に干渉しなかったが、

「名門企業の経営者で済むはずの評価が、親の顔が見たい、と晩年に言われることになりました」(小宮氏)

週刊新潮 2025年7月10日号掲載

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