「俺のボディタッチには価値がある」という誤解が… 田原俊彦のセクハラ騒動に見る「女好きキャラ」タレントの勘違い
中居、国分もテレビスタッフにセクハラで活動自粛に 勘違いアイドルを甘やかしてきたメディアの内輪ノリ構造
テレビ局やラジオ局は、長年、人気タレントの「やんちゃ」を「笑い」に変えて包み込んできた。時に「伝説」「武勇伝」として語り草にし、時にスタッフがフォロー役を買って出ることで、空気を壊さないように努めた。だが、それが結果的に、加害性のある言動を助長する空気を育ててしまったともいえるのではないだろうか。
元SMAPの中居正広さんは、フジテレビ社員に対して性加害を行ったと報じられた。今年に入ってからも、元TOKIOの国分太一さんによる日テレスタッフへのセクハラ疑惑が浮上している。いずれも当人からは文書での謝罪にとどまり、メディア側でも「水面下で処理」されるかたちで対応が終わっている。
トシちゃんのケースと通底するのは、被害を受けたのが「番組スタッフ」という内輪の人間であることだ。つまり、出演を依頼された「タレント」ではなく、「身内」である。テレビ局やラジオ局は、タレントではない彼ら彼女らを守る意識が希薄であるため、組織としての対応が後手に回りやすい。
一方で加害側のタレントにとっては、こうした「内輪」に対して、「俺ルールを分かってくれている」という甘えが生じる。忖度(そんたく)を期待し、多少の無礼や逸脱は笑って流してくれるだろうという前提がある。それがどれほど時代錯誤なものか、自覚が持てないまま年を重ねていってしまったのだろう。
令和のアイドルたちは、スキンシップや発言に対して驚くほど気を使っている。どこで切り取られても問題がないよう、常に意識のアップデートが求められているのだ。
ただ問題は、彼らの育成現場であるメディア企業の側が、いまだに「昭和の幻想」を引きずっていることにある。年長者や往年のスターに対して甘く、女性スタッフや下位の立場の人間に対して鈍感である。その構造が変わらない限り、第二第三の「トシちゃん」は生まれ続けてしまう。
芸能界における「ノリ」や「空気」は、時に番組を盛り上げ、観客を引き込む魔法のような力を持つ。だが、それが誰かの尊厳や平穏を踏みにじるものであってはならないと、トシちゃんもメディア業界もいま一度自省が請われているのではないだろうか。足を高く上げるたびに喝采された時代は過ぎ、今、求められているのは「意識の高さ」なのだろう。





