女性フリーアナ大量発生の時代 生き残り術は…「めげない、やめない、媚びない」の信条

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同調しないタイプ

――2022年には長男が誕生したそうですね。

「あと3ヶ月で3歳になります。生まれた時は私が39歳でした」

――お子さんが欲しいという気持ちは強かったですか。

「はい、子供好きだったので、欲しかったんです。でも、多嚢胞性卵巣症候群という妊娠しづらい体質でした。ですので、漢方とかいろいろな妊活をして授かりました」

――人生、いろいろあったかと思うのですが、ターニングポイントとなった出来事はありますか。

「大学生の時、BSフジで学生アナウンサーをやっていたんですが、実際に2分間のニュースを読むようになったら、『これはやりたい』と思うようになって、アナウンサーという仕事に執着するようになったんです。それがなかったら、ただの憧れで終わっていました」

――最近はフリーになる女性アナウンサーが増えていて、競争も大変かと思います。これまで心がけてきたことがあれば教えてください。

「『めげない』『やめない』そして、『媚びない』ということでしょうか」

――媚びない、ですか?

「はい。あえて媚びない方が良い気がします。先方に色を合わせちゃうと、その色になっちゃうじゃないですか。そうすると、替えがきくというか、降板もさせやすい気がするんです。でも、自分の色にすると、その独自のやり方を作れるので、辞めさせづらいのではないかなと思います」

――「自分の色」というのは、具体的にどのようなものですか。

「私は、番組中でもゲストの皆さんやコメンテーターの方に、同調しないタイプだと思います。そこで媚びないですし、裏表もあまりないようにしています。あえてアドレナリンを出して盛り上げるようなやり方はせずに、自分らしく心地よくやるようにしています」

――そのスタイルは、どこで生まれたのですか。

「『5時に夢中!』からだと思います。あの頃、そのままの私が出ていた感じです。すーっとスタジオに入って、歩いて行って、自分の席に座って始まる、みたいな感じです。不機嫌に見られたこともあったかと思いますが、自然体を心がけていました」

――今後、やってみたいことはありますか。

「できれば、もう一度、報道に戻りたいと思っています」

――具体的に教えてください。

「これまで、お天気情報を伝える場面では、渡された原稿を読むことしか出来なかったんですが、もっと気象の知識をつけて、自分で原稿を書いて、自分の言葉で、災害などの天変地異の報道に携わりたいなと思っています」

 第4回では【離婚後、義父だった「徳光和夫」とテレビ局でバッタリ再会 交わされたあいさつとは】では、田野辺アナが最初の結婚について振り返っている。

田野辺実鈴
1983年、横浜市生まれ。2005年にTOKYO MXにアナウンサーとして入社。12年からフリーで活動を始める。

デイリー新潮編集部

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