離婚後、義父だった「徳光和夫」とテレビ局でバッタリ再会 交わされたあいさつとは
元夫は12歳上の楽天家
――徳光さんは年齢が12歳上でしたが、結婚生活に影響しましたか。
「はい、12歳違うというのは大きかったですね。私はフリーになってバリバリ働いて、もう一度再出発したいという気持ちでした。ただ、相手は、ある程度好きな仕事もして、落ち着いている時期だったんです」
――仕事に対する考え方が違ったのですね。
「そうですね。だから、私からすると『なんでそんなのんびりしているの?』ってイライラするし、向こうからすると『なんでそんなガツガツしているの?』っていう感じだったと思います」
――すれ違いがあったのですね。
「はい。前乗りの仕事もいっぱい入れていましたし、相手から『そこまでやらなくても』と言われると、私もイライラしてしまって。『止めないで!』って感じでした。あと、仕事の飲み会も断りたくなかったんですが……」
――飲み会は好きでしたか。
「好きです(笑)。誘われたら断れないタイプで。それを『いいよ、そんなの断っても』と言われても、『なんでそんな止めるの?』って思ってしまい……そういう価値観の違いは大きかったですね」
――お相手の父、徳光和夫さんからは離婚に際し、何か言われましたか。
「覚えている言葉は、『うちの息子は何も悪いことしてない』と言われて、本当にその通りだなって思いました。最後に、向こうのご両親と私たち二人で、お別れをしっかりしようと思ってお会いしたんです。その時に、申し訳ない気持ちとか色々複雑な感情がわいてきて、なぜか私だけ大泣きしてしまって……」
――やはり、思うところがあったのでしょうか。
「お母様はすごく私のことを気にかけてくださって、『寂しい』って言ってくださいました。本当に、向こうの方は何も悪いことをされてないです。私が傷つけちゃったな、と思いました」
――離婚後も、仕事の現場で徳光和夫さんとバッタリ会うこともあったそうですね。
「はい。現場で何度かお会いしました。メイク室で隣になったり、テレビ東京やBS11でもお会いしたり。スタッフの方が気遣って、すれ違わないようにしてくださっていましたが、それでも会ってしまう時はありました。会った時は、『お疲れ様です』『お疲れ』と普通にあいさつする感じです」
――最初の結婚で、得られたことや感じたことはありましたか。
「はっきり感じたのは、これまでのアナウンサーとしての私が、消えてしまうのでは、ということでした」
――どういうことでしょうか。
「どこへ行っても『徳光家のお嫁さん』って言われるんです。もちろん、結婚ってそういうものなのかもしれませんが、私にはそれが慣れなかったというか……今思えば、覚悟が足りなかったんだと思います。『徳光家のお嫁さん』であるけれど、アナウンサーとして自分が積み上げてきたものが消えてしまう感じがして、反発してしまったところがあったのかなぁと思います」
第5回では【女性フリーアナ大量発生の時代 生き残り術は…「めげない、やめない、媚びない」の信条】では、田野辺アナが自身の信条について語っている。
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