【べらぼう】江戸に「灰の雨」が降る…近くに火山はないのに 史実が語る“東京に積もった火山灰”

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「手に取ると火山灰だった」

 これほどの噴火だから当然だが、火山灰は江戸の町にも降り積もった。大噴火した日については、障子がガタガタと音を立てるので地震かと思ったが、草木は揺れていなかった、という記録がある。

『解体新書』で知られる杉田玄白の警世の書『後見草』には、「庭の面を相見れは、吹来る風に誘はれて細き灰を降せたり」という記述がある。つまり、庭に灰が降ってきたというのだが、続けて「手に取て能見れは灰にはあらて焼砂なり」と書かれている。つまり、灰かと思って手に取ってみたら火山灰だった、という。

 戯作者の山東京伝はこう書いている。「宝永四年不二山焼けたる時江戸に灰ふりしことあり、昨日鳴動したるは西北の方なり、此方に当たりて江戸近き高山は浅間なり」。灰が降ってきたことを受け、七十数年前の宝永4年(1707)に起きた富士山噴火という故事と比較して、浅間山の噴火によるものだと推測している。ただし、「人はしかりとも思わず」と続けて書いているので、周囲はすぐには浅間山だと認識しなかったようだが。

 このとき火山灰は埼玉県の秩父で15センチ、千葉県の佐倉で10センチほど積もったという。江戸は多いところで数センチだっただろうか。ともかく江戸、すなわち現代の東京はすぐ近くに火山はないものの、時に火山灰が降る土地柄なのである。

灰を吸い込んで呼吸器疾患が続出した

 さかのぼれば、山東京伝も書いているように、宝永4年には富士山が大爆発して、江戸に灰が降っていた。新井白石の自叙伝『折たく柴の記』には、この年の11月、江戸市中に灰が降ったときの様子が記されている。

 11月23日のこと、「よへ地震ひ、此の日午の時雷の声す、家を出つるに及ひて、雪のふり下るかことくなるを見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起りて、雷の光りしきりにす」。つまり、地震に続いて昼ごろから雷鳴のような音が聞こえ、白い灰が降ってきたというのである。

 このとき灰は午後8時ごろには降り止んだが、地鳴りと地震はそのまま続き、25日からは黒い灰が降りはじめたという。しかも、大量の火山灰が空中に舞い、それを吸って呼吸器の疾患に見舞われる人が続出したと書かれている。噴火にともなうさまざまな流言飛語に関しては、「まのあたり見しにもあらぬ事共は、ここにはしるさす」、つまり自分の目でたしかめたこと以外は書かない、と断言する慎重な白石なので、呼吸器疾患については、目の当たりにしたのだろう。

 このとき富士山の25キロ圏内で3メートル以上、60キロ圏内で40センチ前後の灰が積もったという。江戸の町は3~6センチ程度だったが、その後、2週間にわたって降り続けた。しかも、白石によれば健康被害もおびただしかったことになる。

 現在、平和でのどかな東京には、外国人もあふれている。しかし、首都直下型地震がいつ起こっても不思議でないことに加え、こうして灰が積もる可能性もある。歴史は、そして歴史ドラマは、私たちにそんなことも警告してくれる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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