入社一年目でホームレスを直撃 マツコら“クセ強”出演者に鍛えられた「5時に夢中!」
TOKYO MXは「体育会」
――TOKYO MXの会社の雰囲気はどうでしたか。
「体育会で厳しかったですね。社会って、こんなに厳しいんだなと初めて知りました。ブラックではないんですけど、当時のマスコミは結構、激しかったと思います」
――具体的なエピソードはありますか。
「例えば、アナウンスブースに入って、先輩が戻ってくるまでずっと練習するようにって言われて、どんどん課題を置かれて読んで……とかありました」
――原稿もご自身で書かれたのですか。
「そうです。いきなり一人でした。初の取材はAED講習会だったのですが、『突然死を防ぐ』というようなことを書いたら、『死って簡単に使うな』って言われたんです。なかなかOKが出なくて、震えながら『間に合わない、間に合わない』と思って書いたのを覚えています」
――入社4年目には「5時に夢中!」のアシスタントを担当されたのですね。
「26、27歳の頃だったと思います。月曜日から木曜日を担当していました」
――月曜はマツコ・デラックスさんと若林史江さん、火曜はだいたひかるさんと北斗晶さん、水曜は中村うさぎさんと美保純さんと、木曜は中瀬ゆかりさんと岩井志麻子さんでした。
「はい、すごいメンバーでした。皆さん、刺激的なことを言うんですけど、本当に傷つけられたことは一度もないんです。鋭いことを言って、傷ついているのはご本人自身なんですよ」
――共演者とはどのような関係性でしたか。
「経験豊富な方々に馴れ馴れしくするのは失礼だと思っていたので、最初はあえて距離を取っていたんです。バックヤードでもあまり喋らないようにしていたんですけど……。でも、逆に大先輩の皆さんから、プライベートに誘っていただき、距離を縮めていただいたんです。本当に申し訳ないぐらいでした」
――印象に残っている交流はありますか。
「毎年マツコさんからお正月に、『明けましておめでとう』と電話をいただいていました。1分ぐらいの挨拶だったと思うんですが、それが3、4年続いたと思います。」
――優しかったんですね。
「はい。他にも、特番で私が立ち位置が分からずほとんど喋れなかった時に、『この立ち位置で喋るのは無理でしょ!』って、自分の立ち位置を変えていただいたり、プロデューサーに『このポジションだと、どの意見を言えばいいか分からないわよ!』っておっしゃっていただきました。皆さんに、本気でかばっていただいていましたね」
――なぜ、そんなにかばってくれたのでしょうか。
「たぶん、私が本当に世間知らずで、怒られることでも平気でやっちゃうような人だったからだと思います。天然というか、おバカでしたから。かばわないと、私とプロデューサーとの関係が悪くなると思ったんだと思います」
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