NHKアナウンサー試験、まさかの最終落ち 法大「自主マスコミ講座」先輩の助言とは
「現場で鍛えて欲しい」
――高校、大学ではどのように過ごされたのですか。
「高校は法政大学の付属の女子校で、そのまま法政大学に進みました。OGに(元フジテレビアナウンサーの)小島奈津子さんがいらっしゃったので、法政に行きたいと思っていたんです」
――アナウンサーを目指す上で、法政大学でしたことはありますか。
「はい、『自主マスコミ講座』というところに通っていました。これはサークルではなく、就職部が開いている単位にならない講座なんですが、どうしてもここに入りたいという思いがありました」
――就職活動はいかがでしたか。
「アナウンサーを中心に受けたのですが、本当に厳しかったです。地方局も含めて20社ぐらい受けたんですが、軒並み落ちました。最後に受けたNHKでは、最終面接までいったのですが、落ちてしまい……本当にショックでしたね」
――NHKの最終まで行かれたのですね。
「はい。もう、『ここで決まるかな』『人生がだいぶ変わるな』って思っていたので、落ちた時は『もうやめよう』って思いました。これが私の運命だったんだ、って」
――ダメだった要因は何だと思いますか。
「最終の前の論文試験が『サイン』というテーマだったんですが、あえて恋愛系について書いて目立とうとしたんです。それを最終の面接官の方が読んでいて、『ちょっと尖りすぎていたね』『ジャーナリズムのこと書いて欲しかった』と言われてしまって……」
――その後は、どうされたのですか。
「一度、マスコミ業界から逃げたんです。アナウンサーじゃなくても活躍できる場所を探そうと思って、メーカーなどを受けました。それで、化粧品メーカーの営業職の内定をいただきました。でも、ふと思ったんです。『あれ、やっぱりマスコミの方が向いているのかな?』って」
――再びマスコミを目指されたのですね。
「メーカーから内定をいただいたのが8月ぐらいだったんですが、その時に、自主マスコミ講座の先輩たちから『(就職活動を)止めちゃいかん!』って電話がたくさんきました。『(就職)浪人してもいいから、まだ受けられるところを受けて、入り口に入ってみた方がいい』って言われました」
――先輩の助言が大きかったのですね。
「本当にそう思います。それで、秋採用をしていたのが、TOKYO MXだったんです。面接では、『アナウンサーは最終落ちしていて、向いてないと思います』という話をしました。だから、『現場で鍛えて欲しい』『記者でやりたい』って言ったんです。記者として経験を積んで、世間知らずなところを鍛えていただいて、もしそれがよければ、ご褒美でニュースを読めたら嬉しい、という話をしました」
――MXは当時、ご覧になっていましたか。
「それが、実家が横浜だったので、見られなかったんです。でも、友達がMXを録画したビデオを送ってくれて、研究しました。ちょうど開局10周年での入社だったので、将来性も感じていました」
第3回【入社一年目でホームレスを直撃 マツコら“クセ強”出演者に鍛えられた「5時に夢中!」】では、田野辺アナがTOKYO MXでアナウンサー兼記者として働いた当時を振り返る。
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