国交のない“親日国”が侵攻されたら…日本は「台湾有事」にどう向き合うべきか 日・中・台の歴史から学ぶ現在地
第二次トランプ政権による対ウクライナ政策の方向転換が、アジア地域の安全保障にも影を落としている。特に気が気でないのが台湾だ。中国の習近平国家主席は、「祖国統一は歴史の必然である」と繰り返し述べ、「必要であれば武力による統一も辞さない」という姿勢だ。そもそも、なぜ中国は台湾に固執するのか。日本が台湾と国交を断絶したのは何故か。 ジャーナリストの池上彰氏と増田ユリヤ氏の解説をお届けする。
(前後編の後編)
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※この記事は池上彰氏と増田ユリヤ氏の共著『ドナルド・トランプ全解説』(Gakken)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
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日本統治時代の台湾
なぜ中国は台湾を狙うのか。台湾の歴史を振り返ってみたい。1895年、日本が日清戦争で当時の清国に勝つと、下関条約を結び、台湾を日本初の植民地とした。明治維新以降、初めて獲得した海外の地ということで、日本は台湾の開発・近代化に力を入れた。
統治のためではあったものの、鉄道の敷設や灌漑施設の建設だけでなく、医療や公衆衛生の向上も図った。さらに台湾の人々に日本語教育を行ったため、日本統治時代の台湾の人々は、「押しつけ」ではあったものの、日本語の読み書きを覚え、日本語を通じて国際情勢や知識を身に付けることになった。
国民党政権による台湾統治と反発
1945年、第二次世界大戦が終わると、敗戦によって日本が台湾から引き揚げることになり、台湾は当時中国大陸を支配していた蔣介石の中国国民党が率いる中華民国に編入されることとなった。
台湾に大陸から国民党の軍や役人がやってきて、日本に代わる新たな統治者となった。 こうした、大陸から来た人々を「外省人」と呼び、もとより台湾にいた人々を「本省人」と呼ぶ。
国民党による支配は苛烈なものであったため、日本から国民党支配へ変わったことを「犬(日本)が去り豚(国民党)がやってきた」と言い表した台湾人もいたほどだった。日本統治時代にも日本人と台湾人は対等に扱われていたわけではなかったが、その後の国民党政権の統治があまりにも台湾人にとって屈辱的で厳しいものだったために、こうした言葉が生まれ、「日本統治時代は(まだ)よかった」と考える親日的な人たちが増えたと言われる。
外省人による統治が行われ、本省人が圧政を強いられる中、1947年2月、本省人の闇たばこ売りの老女が、国民党の官憲に暴力を振るわれ、抗議した人が殺害されてしまう。すると、圧政を受けていた本省人の怒りが爆発し、市民による抗議デモが起きた。これを二・二八事件と呼ぶのだが、国民党は戒厳令を敷き、官憲による無差別な銃撃や弾圧を行い、2万8000人もの市民が殺害されたという。
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