「闇落ち」するイケメンアナには「ある共通点」が… フジ・山本賢太アナはオンラインカジノで活動休止
ある時は無個性に、ある時はいじられキャラに……女子アナよりも難しい立ち回りが求められる男性アナ
彼らに通するのは、いずれも「爽やか」「イケメン」「人懐っこい」というキャラで売っていた点だ。視聴者や共演者から「イジられる」余地のある存在として愛されてきた一方で、その親しみやすさが「計算されたもの」だと発覚した瞬間、許される空気が一変する。つまり、「好感度の皮」を被ったしたたかさが露呈したとき、人々の裏切られた感情は倍加するのだろう。
そうはいっても、男性アナからしてみれば、したたかさがないと埋もれていく一方だという焦りもあるに違いない。キー局の男性アナウンサーは、同世代の女性アナに比べてどうしても注目度が低い。朝や昼の情報番組では女性アナが司会やリポーターとして幅広く起用される一方、男性アナはスポーツ実況などに限られがちだ。女性アナが「華」や「話題性」でタレント的な人気を集めやすいことの反動なのか、男性アナは「無個性な安定感」が求められることも多い。でもバラエティーや朝番組では、「キャラ立ち」が求められるという、番組ごとに求められる色のギャップも課題となる。
個性を出しながらも出しゃばらず、視聴者に自然に受け入れられる存在感。それは原稿読みや実況を練習するだけで身に付くものではない。場数をこなさないと勘がつかめないのに、重要な枠はほとんど華やかな女子アナに占められてしまう。結果として、同じ局アナでも男女でキャリアの見え方や広がり方には大きな差が生まれるだけに、うまく立ち回る領域を増やさなければという焦りが生まれる男性アナがいても不思議ではない。社外をも巻き込んだ不祥事に手を染めてしまう男性アナたちは、そうした葛藤を抱えていたのではないだろうか。
大事なのは事実よりも「視聴者の印象」 山本アナの復帰はいかに
アナウンサーという職業において、画面に映るのは「事実」だけではない。「この人なら安心できる」「信用できる」という印象が、最終的には視聴者のチャンネル選びを決める。そしてその信頼は、時間をかけて築くものだが、崩れるのはほんの一瞬だ。
山本アナも例外ではない。芸人からイジられつつも進行上は上手に立ち回る「要領が良くてモテそう」という、いかにもなテレビタレントとしての機能を発揮していたが、今では「チャラついてたお調子者」という見方に変わってしまっている。オンラインカジノ疑惑が報じられた時点で、その「人懐っこい若手」というキャラがほころびを見せ、仮に違法性がなかったとしても「テレビで見たくない」という嫌悪感を抱かせてしまっているのが現実だ。法的な結論よりも、視聴者の感覚の方がテレビの世界では重い。
自らのスキャンダルを認めた山本アナが、一体いつ、どのように復帰するかはまだ分からない。ただ、ここで気を付けたいのは「なぜ自分が批判されたのか」という構造的理解が欠けている場合、復帰は失敗するということだ。「ちょっと調子に乗ってて」「若気の至りでした」といった曖昧な表現で片付けてしまうと、視聴者は「反省していない」と感じてしまう。
目立たなければ埋もれ、目立とうとすれば浮いてしまう。難しいバランス感覚が問われる男性アナたちの心労には同情する。しかしテレビの前でマイクを握る者として──人々の信頼と注目を集める立場であるからこそ──その影響力と責任を自覚し続けることが、華やかなキャリアを維持する唯一の方法なのかもしれない。