「のぶは苦手」となるのが「あんぱん」の本質 避けられなかった「軍隊のビンタ」シーン
もう1人の人物
やなせさんと深く関わる人物でもう1人、非戦を唱える人がいる。サンリオ創業者でやなせさんと親しかった辻信太郎・名誉会長(97)である。「争いからは何も生まれない」「仲良く助け合って行くことが大切」と唱え続けている。
辻氏は元山梨県庁職員で、一代でサンリオを大手企業にした立志伝中の人物。辻氏はやなせさんの才能を高く評価し、1966(昭41)年にやなせさんの初詩集『愛する歌』を同社から出版する。1973(昭48)年にはやなせさんを創刊編集長とする「詩とメルヘン」も刊行した。この雑誌の世界観は「あんぱん」のオープニング映像に極めて近い。
同社の看板キャラクター・ハローキティは仮に大戦争が起きたら、この世から消えてしまうという。同社は戦うキャラクターを絶対につくらない。徹底して非戦だ。
辻氏はどこか八木を思わせるが、直接的なモデルではない。辻氏には従軍経験がないのである。半面、八木が敗戦後も登場したら、辻氏の人物像が投影されるのではないか。名前に「信」の文字があるところも共通する。
「正義は簡単に逆転する」
嵩はこの教訓を敗戦によって得る。戦争加担者となり、うちひしがれているだろうヒロイン・若松のぶ(今田美桜)にも復員後にそう説くはずだ。
一部に「のぶは苦手」「のぶがヒロインである理由がよく分からない」という向きがあるようだ。もっとも、この物語は胸弾ませて教師を目指し、女子師範学校に入った女性が、若くして国家主義者になってしまうという恐ろしさも描かれている。
のぶは1942(昭17)だった第50回、嵩の出征式で目が覚め、「必ずもんてきい!」と叫ぶが、それまでは国家主義に取りつかれていた。この物語はのぶの再生の物語でもある。これがないと、凡百の戦争作品と変わらなくなってしまう。
のぶは評判のはちきんだ。高知弁のはちきんは「男勝りの女性」と簡単に訳されることが多いが、「一本調子でおだてに弱い女性」という意味もある。まさにのぶである。国家教育もおだてに乗せられて信じ始めた。
のぶが同校2年生になった1937(昭12)年、日中戦争が始まった。第27回のことだ。それまでののぶは担任・黒井雪子(瀧内公美)の国家主義的な指導に学級内で最も反発していた。だから黒井に疎まれた。
それが豪の出征を機に第29回から慰問袋を戦地に送るようになると、校長から誉められ、黒井の見る目も変わり、本人も有頂天になる。国家主義に突き進んだ。一本調子でおだてに弱い性格が災いした。
「あんぱん」は海外販売に力を入れるというが、これものぶのキャラクター設定に影響したはずだ。旧来の朝ドラのようにヒロインもほかの主要登場人物も戦争に距離を置く善意の人ばかりだったら、外国人は「なぜ戦争になるのだ」と首を捻るだろう。
軍部が号令を掛けるだけでは戦争は起こりにくい。戦争を後押しした女子師範、教師、愛国婦人会の登場は現実に近づこうとする制作側の狙いなのだ。
敗戦直後の1945(昭20)年8月には皇族の東久邇稔彦首相が「一億総懺悔」と提言し、国民全体の反省を求めた。勝手な話だが、軍部に全ての責任を押し付けるのも無理があった。
嫌悪する向きもあった軍隊のビンタも真実性を考えると避けられなかった。ただし、観ている側に対する配慮が施されているのが分かる。
嵩がビンタを食らう場面があったのは高知連隊にいた第50回と小倉連隊に移った第51回。ともに1942(昭17)年のことである。やなせさんは著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)に「ビンタの嵐が吹き荒れる」と書いたが、この2回しか出てこない。
第52回以降はない。1944(昭19)年の第53回で下士官の伍長になったから、もうビンタは食らわない。ビンタのインパクトは強かったものの、意外と少ない。
また高知連隊で1発あったビンタはカメラが映さず、音だけ録った。小倉連隊の9発の場合、迫力を感じさせる横からの撮影は1発にとどめた。残りの8発はカメラが嵩の背後か正面に回った。こうすると、よく見えず、迫力が軽減される。アクション映画の逆だったのである。
制作者側がなるべく陰惨さを抑えつつ、日本軍の実態と敗戦前の暗澹たる空気を再現しようと苦労しているのが分かる。