「のぶは苦手」となるのが「あんぱん」の本質 避けられなかった「軍隊のビンタ」シーン

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やはり井伏がカギ

 なぜ、八木は詩集を懐かしむような目で見たのか。その答えが明かされたのは連隊の中国入りを目前に控えた1944(昭19)年の第55回。嵩が八木にこれまで庇ってくれた礼を言うと、八木は「井伏の詩集のせいだ」「おまえにオレと同じ臭いを感じた」と応じた。やはり八木もこの詩集を読んでいた。

 この詩集が発売されたのは1937(昭12)年5月。井伏が母親や初恋への思いを書いた創作詩に加え、漢詩の大胆な訳詩が収められている。素朴で温かい作品ばかりで、当時の穏健なインテリ層に愛された。嵩の胸を締め付けそうな「シーソー」という言葉も出てくる。

 嵩が詩集を東京・銀座の書店で購入したのは東京高等芸術学校1年だった1937(昭12)年7月、第27回である。日中戦争が始まった直後だった。それから間もない第29回には豪ちゃんこと原豪(細田佳央太)が出征した。1942(昭17)年だった第50回には嵩も軍隊に入る。

 訳詩の部分では于武陵の「勧酒」が有名だ。

「この盃を受けてくれ どうぞなみなみつがしておくれ はなにあらしのたとえもあるぞ『サヨナラ』だけが人生だ」(原文はカタカナ)

 人生は別れの連続だということを意味している。また人生は嵐の前に散ってしまう花のようにはかないものだという意味も併せ持つ。悲しいことだが、日本軍の戦死者が約230万人にも達した大戦下に合っている。

 1945(昭20)年8月には必ず敗戦し、それを視聴者側の誰もが知っているのが戦争作品の最大の特徴である。豪の出征から始まった戦時下と戦争の描写は7週目に入った。時期的にいよいよ敗戦が迫っている。

 やなせさんは敗戦後、ますます井伏に傾倒し、「自分の創作の原点は井伏鱒二」と口にするようになる。やなせさんと井伏の共通点は非戦だ。戦争自体を否定した。

 井伏は広島への原爆投下のむごたらしさを題材にした『黒い雨』(新潮文庫)にこう書いている。

「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」

 正義を信用しないやなせさんの考え方とも通底する。戦ってはいけないのである。

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