伝説の女優「原節子」との仲を「小津安二郎監督」の身内はどう見ていたか…新進女優時代に“相思相愛”だった「4歳年上の助監督」とは引き裂かれ

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第1回【伝説の女優「原節子」が14歳で映画界入りを決めた“家庭の事情” 父の事業が行き詰まり“着たきり雀”だった少女時代】を読む

2025年は生誕105周年

 1930年代から60年代にかけて燦然と輝いた女優、原節子。42歳での引退後は鎌倉で隠居生活を送り、2015年9月5日に95歳で死去するまで独身を貫いた。醜聞ひとつ残さなかった「永遠の処女」とも呼ばれるが、本当に恋の話はなかったのだろうか。そして、結婚話が噂になった小津安二郎監督との仲とは――。

 今年6月17日に迎えた生誕105年に際し、20年前の「週刊新潮」から、原節子の素顔を知る映画関係者の貴重な証言集をお届けする。『週刊新潮が撮った 昭和の女優たち』でセレクトされた珠玉の名カットとともに、当時の彼女が放っていた輝きを堪能していただきたい。

(全2回の第2回:「週刊新潮」2004年12月30日・2005年1月6日号「原節子の『秘められた恋』」を再編集しました。文中一部敬称略。年齢、役職等は掲載当時のものです)

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作品に口を挟む「おっかない義兄さん」

 吉村公三郎監督、原節子主演の「安城家の舞踏会」(昭和22年封切)と「誘惑」(同23年封切)の脚本を担当した新藤兼人氏は、当時の彼女をこう評する。

「すごい存在感でした。近寄りがたく、言葉をかけるのも怖い感じがした。休憩時間に原さんが座っている姿は、まさに、ライオンが座っている感じです。素晴らしい美貌で、オーラを放っていました。顔が画面に映っていればそれだけで十分。他に何もいらない」

 原節子の義兄、熊谷監督が「誘惑」に口を挟んできたことがあった。

「あの作品は、佐分利信演じる主人公の青年代議士が、結核で療養中の奥さんがありながら、原節子演じる若い女に恋をして、病弱な奥さんを捨ててしまう、というストーリーです。今ではたいした内容ではないが、モラルに欠ける不道徳な作品ということで、熊谷久虎が、“もう原節子をお前たちの映画には出さない”と文句をいってきた。あんなおっかない義兄さんがついていたら、誰も彼女に手を出しませんね」

 昭和24年、女優・原節子に大きな転換期が訪れる。小津監督の作品に出演することになったのだ。

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