「熱烈なファンがライバル選手に刃を」「試合を放棄しろと脅迫」 “女王の中の女王”シュテフィ・グラフが味わった苦境と逆転劇(小林信也)

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 シュテフィ・グラフは、女子テニスの歴史の中で「女王の中の女王」と呼んでもいい存在だ。

 1987年8月から91年3月まで186週間、世界ランキング1位を守り続けた。通算377週と共に、いまも女子最長記録だ。

 グラフは幼い頃からその才能を認められて育った。最初に将来を確信したのは、自動車のセールスマンだった父ペーターだ。

 69年6月14日、ドイツのマンハイムで生まれたグラフは4歳からテニスを始めた。7歳の時、ミュンヘンの伝統あるジュニア大会で優勝する娘を見た父はプロとして成功させようと支援を決意した。

 11歳の時には専門誌で〈神童〉と書かれ、ナショナルコーチ連盟が専任コーチを派遣した。グラフの才能を疑う者はいなかった。

 83年、全仏オープンに13歳11カ月(史上最年少)で出場。84年の全豪は3回戦、ウィンブルドンでは4回戦に進出した。グラフの強みは強烈なフォアハンドとキレのあるバックハンド・スライス、その正確さ、そして軽快なフットワークだ。

 84年、公開競技として実施したロス五輪で金メダルを獲得。15歳にしてグラフは実力を自ら証明した。

 そこから18歳までの約4年間が、グラフの覚醒と成就の時期だった。86年5月の西独オープン。16歳のグラフは決勝で世界ランキング1位マルチナ・ナブラチロワをわずか64分で破った。1カ月前には同2位のクリス・エバート・ロイドも破っていた。

「あれほどミスの少ないプレーを見たことがない」、女王ナブラチロワが脱帽し、「次の女王はグラフに決まった」と地元のファンを興奮させた。

 その年の全米オープンでベスト4(史上最年少)。翌87年全仏オープンで四大大会初制覇。そして88年には、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の四大大会すべて制覇し、史上3人目の年間グランドスラムを達成した。ソウル五輪でも金メダルを獲得。年間五冠達成という前代未聞の快挙を成し遂げた。世間は“ゴールデンスラム”という新語を作ってたたえた。その称号はいまもグラフだけのものだ。

セレシュ刺傷事件

 グラフは正確なプレースメントで相手を崩す。弱点があるとすれば攻撃力だといわれた。しかし、守り抜く粘り強さが並外れていた。それこそが最大の武器だったかもしれない。

 88年の全豪から90年の全豪まで優勝8回、準優勝1回。圧倒的強さを誇った。しかし、90年の全仏決勝で台頭著しいモニカ・セレシュに敗れ、勢いが陰り始めた。2月にスキーで右手親指を骨折した影響もあった。この全仏から3年間の四大大会はセレシュが優勝8回、グラフは2回。完全に女王の座をセレシュに奪われた。そして悲痛な事件が起こる。

 93年4月30日、ドイツ・ハンブルクでの大会中、セレシュが“熱狂的なグラフ・ファン”を自称する男に背中を刺された。犯人は「セレシュがいなくなればグラフが世界1位に返り咲けると思った」と動機を語った。セレシュは2年以上もツアーから離れた。

 その間、グラフは四大大会に6度優勝、世界1位に戻った。だがライバル不在の状況で素直に喜べるはずもなかった。

 93年ウィンブルドンで3連覇を果たした日、グラフは表彰パーティーに出席せず帰宅した。彼女に対して「試合を放棄しろ」などの脅迫が続き、ケガと心労、鎮痛剤の副作用もあって「立っているのがやっと」の状態で決勝を戦っていたという。グラフが女王に君臨できたのは、才能に加えて携えていた“驚異的な忍耐力”によるものだった。

アガシのアタック

 グラフは“人生の逆転劇”のヒロインでもある。

 17歳で全仏を制したグラフに胸をときめかせたのが、1歳下のアンドレ・アガシだ。アガシは幾度かグラフにメッセージを送ったが、返事は来なかった。

 92年のウィンブルドン。グラフが4度目の優勝を決めた翌日、アガシはゴラン・イワニセビッチを破って誰も予期しなかった四大大会初制覇を果たした。それはアガシにとって望外の幸運を得たことを意味していた。表彰パーティーで恒例となっている優勝者同士のダンスでグラフと踊れる!

〈ダンスフロアで彼女の手をとり、クルリとさせるのが待ち遠しくてしかたなかった〉

 アガシは自伝に書いている。ところが会場でダンス中止を知らされる。グラフが主催者に申し入れたためだ。グラフはそれほどアガシを敬遠していたのか、恥じらいのためだったのか。

 グラフへの片思いが実らず、アガシは97年に女優ブルック・シールズと結婚するが2年で離婚。アガシの心にグラフがいることをシールズは知っていた。グラフに負けない美しい体形を維持するため、シールズは冷蔵庫にずっとグラフの写真を貼っていたという。

 99年、互いに全仏オープンで優勝。ロンドンに向かう飛行機の中でアガシは電話番号を書いたメモを渡した。グラフが電話をかけたことから交際が始まり、2001年に結婚。1男1女に恵まれ、いまも円満に暮らしている。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年6月12日号掲載

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