30余人が死傷した昭和の「電車爆破事件」…25歳の犯人が「横須賀線」に時限爆弾を置いたあまりにも身勝手な動機

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爆弾事件捜査の難しさ

 事件は発生から5カ月で犯人の逮捕にこぎつけた。解決を受けて、警察庁の新井裕長官(当時)は記者会見で以下のように述べている。

「横須賀線爆破事件の捜査は現場に残されていた新聞紙、菓子箱、火薬などの遺留物を追っていた線と、爆発した電車の中で犯人らしい人を見たという目撃者の証言者の線と一致し、解決することができた。基本捜査で犯人像を割り出したことは今後の捜査の模範例となろう」

 この事件から6年後の昭和49年8月30日、我が国犯罪史上、最大の爆弾事件である「三菱重工ビル爆破事件」が起きる。午後零時45分、東京駅近くにある三菱重工ビル前の路上で爆発が起き、8人死亡、380人の重軽傷者が出た。警視庁公安部は翌50年5月19日、犯人である、東アジア反日武装戦線の狼グループを一斉検挙したが、この時、決定的な証拠となったのが1枚の領収証だった。

〈この領収証は、犯人グループの一人が自宅近くのごみ箱に捨てたものだった。捜査したところ、東京都内の時計店が、いくつものトラベル・ウォッチをまとめ買いした客に渡されていたことが判明。そのトラベル・ウォッチが一連の爆弾事件で時限装置のタイマーとして使われたものと一致したのである〉(三木賢治著『事件記者の110番講座』毎日新聞社)

 現場で粉々に飛び散った微物を丹念に採取・検証し、部品を一つ一つ集めてタイマーを復元する作業をしていなければ、領収証を入手しても役に立たなかったかもしれない。こうした「現場」と「情報」の捜査を地道に続けることで犯人にたどり着く――横須賀線事件の教訓はしっかり生かされていたということだろう。

 なお、「東京駅みどりの窓口爆破事件」と「山陽電鉄爆破事件」は未解決のままだ。爆弾事件捜査がいかに難しいか、最後に警察庁の資料を引こう。

〈本件捜査(横須賀線事件)は、総勢140人にのぼる捜査員の約5ヶ月間余にわたる長期捜査であり、しかも捜査力の重点を警視庁管内の三多摩地区におくという特異なケースであった。爆体物件の入手ルートの追跡捜査は、いつ果てるとも知れぬ単調な捜査であり、個々の捜査員の責任感、義務感に負うところの多い捜査であった〉

【第1回は「昭和43年の“父の日”に起きた『横須賀線爆破事件』…犯人逮捕のきっかけは『新聞の切れ端』 5万人超の購読者から『25歳の大工』を割り出した執念の捜査」不特定多数の被害者を狙う悪質な犯行に対峙した、神奈川県警の執念の捜査】

デイリー新潮編集部

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