昭和43年の“父の日”に起きた「横須賀線爆破事件」…犯人逮捕のきっかけは「新聞の切れ端」 3万人超の購読者から「25歳の大工」を割り出した執念の捜査
新聞の紙片から
〈しかし、犯人逮捕のきっかけとなったのは、数千の新聞の切れ端をつなぎ合わせるという気の遠くなるような作業による成果だった。そして、ついに爆破装置を包んでいた新聞が「昭和43年4月17日 毎日新聞 東京版多摩」であることが断定された〉(前出・資料)
東京版多摩には、13版と14版の2種類があった。採取した紙片を張り合わせ、復元したところ13版であることが分かる。さらに新聞の上下や、紙面の裏表のインクの濃淡や印刷のズレ、活字の傷などから、印刷した輪転機の番号も判明する。該当した22、23号輪転機で印刷された新聞は、東京の八王子市と日野市に配られていたことが分かる。
そして(6)の菓子箱の捜査では、名古屋城のしゃちほこの形の最中を製造している名古屋市内の製菓業者を特定した。毎日新聞を購読し、名古屋市内で最中の菓子を買ったことがある八王子、日野市内に住む人物が犯人なのか?
昭和43年7月末には、特捜本部の捜査員の大半が毎日新聞購読者への個別の聞き込み捜査に当てられた。その数3万超――。
10月1日、日野市内で聞き込みに従事していた捜査員は、手順通り、製菓会社の菓子箱を印刷したビラも対象者に見せて確認していた。そのうちの一人の男性が「昨年、名古屋に新婚旅行で行った際、名古屋駅のホームでお土産にこのお菓子を買って、隣人にもあげた」と証言した。
その隣人も毎日新聞の購読者。1万5千人への捜査を終えたところで浮かんできたのは、25歳の大工だった。
【第2回は「30余人が死傷した昭和の『電車爆破事件』…25歳の犯人が『横須賀線』に時限爆弾を置いたあまりにも身勝手な動機」なぜ不特定多数の乗客がいる電車に爆弾をしかけたのか?】