昭和43年の“父の日”に起きた「横須賀線爆破事件」…犯人逮捕のきっかけは「新聞の切れ端」 3万人超の購読者から「25歳の大工」を割り出した執念の捜査

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現場での採証活動

 一般に、「爆弾事件捜査」は困難を極める。特にこの事件が起きた当時はまだ十分な捜査手法や技法が定着していなかった。一方で、犯行に手を染めるのは「確信犯」が多い。それゆえ証拠を残さないように、周到に計画・準備をした上で犯行に挑む。だが、どんな人間でもうっかりミスをやらかすもの。そのミスを発見することができるかどうか――捜査本部は、そのわずかな可能性に捜査力を傾注することになる。

 大船署に特捜本部を設置した神奈川県警は捜査第1課を中心に刑事部だけでなく、保安部保安課火薬捜査班や隣接警察署からの応援派遣を得て、140名の陣容で捜査にあたることになった。初動捜査で重視された項目は2つ。

(1)事件車両の乗客を中心とした犯行目撃者の割り出し、聞き込み。
(2)現場検証から得られた遺留物件の解析、解明。

〈事件当夜より数日間は、(捜査の)主力を乗客、駅関係者等を中心とする目撃者捜査に置いた結果、発生後2~3日間に相当数の乗客の把握に成功した〉(前出・資料)

 とはいうものの、事件当日の保土ヶ谷駅以西の11駅の乗車券発売枚数は7万枚超もあった。現場の捜査はどうしたのか?

「終日、刑事が横浜~横須賀間と横須賀~久里浜間の電車に乗り込み、乗客に対する聞き込みで、目撃者を捜しました。10日間にわたる捜査の結果、何人か不審者に関する情報は出てきましたが、直接、事件に結びつく有力な情報はありませんでした」(神奈川県警OB)

 現在のように車両内やホーム、改札など、いたる所に防犯カメラが設置されていない時代である。それでも現場情報を担当する捜査員たちは、車両内で聞き込みを続けた。

 また、鑑識活動については、発生直後から総員40人を投入して、現場となった車両を中心に綿密な採証活動が行われた。車両からは2432個の指紋を検出、事件当日の横須賀線各駅から押収した48万枚の切符との照合を進める一方、以下のような「爆発物」に用いられたと思しき遺留品が押収された。

(1) クラウンテープレコーダー
(2) タイムスイッチ
(3) 無煙火薬
(4) 乾電池とケース
(5) 三方継ぎ手

 さらに、これらをしまっていた(6)菓子箱と、それをくるんでいた(7)新聞の紙片の分析が進められた。もっとも、どれもそのままの形で遺っていたわけではない。爆発で粉々になったものをかき集め、復元していったのである。例えば火薬。燃え残った無煙火薬の黒色粒子をピンセットで採取するのだが、その直径はわずか1.3ミリ。鑑識課員は事件車両の床から押収したチリや埃をピンセットでかき分け、物証を集めて復元したのだ。しかし、テープレコーダーや火薬、乾電池などの大量生産品から犯人に到達するのは困難だった。

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