「監督・長嶋茂雄」が見せた誰にもマネできない神采配 “勘ピューター”的中で「連続代打ホームラン」や「代打ピッチャー」に観客は大喝采
堀内恒夫以来23年ぶり「代打にピッチャー」でチームの空気を変える
延長13回、一打勝ち越しのチャンスに投手を代打に送る奇策を打ったのが、1997年6月17日のヤクルト戦である。
開幕から投打がかみ合わず、まさかの最下位に沈んだ巨人は、この日も首位・ヤクルトに大苦戦。8回を終わって0対1とリードされていた。
だが、追い詰められた9回、後藤孝志がフルカウントから吉井理人の148キロ直球を左中間に運ぶタイムリー二塁打で辛くも同点に追いつき、延長戦にもつれ込んだ。
そして、1対1の13回に2死一、三塁のチャンスをつくり、投手の入来祐作に打順が回ってくると、長嶋監督が代打を告げる。指名されたのは、なんと、投手の宮本和知だった。
この日の巨人はすでに野手全員を使いはたしていたうえに、入来は2001年に54打席連続無安打を記録するなど、打撃は期待できない。
一方。宮本は1994年に16打数6安打3打点の打率.375、95年に31打数9安打2二塁打の.290を記録し、打撃でもそれなりの実績があった。
13回の攻撃が始まる前に「ピッチャーのところに回ってきたら(代打が)ある」と告げられていた宮本は、すでに心の準備ができていた。投手の代打は、球団では1974年の堀内恒夫以来23年ぶりの珍事だった。
ヤクルト・野村克也監督も、この回から抑えの切り札・伊藤智仁を投入し、並々ならぬ勝利への執念を見せていた。
宮本は「あんな速い球を打つのは、中日の小松(辰雄)さん以来だよ」と苦笑しつつも、伊藤の速球に怯むことなく、ファウルで7球も粘る。最後は空振り三振に打ち取られ、三塁走者をかえすことはできなかったが、スタンドの大拍手を浴びた。
この向かっていく気迫が本職の野手たちを奮起させたのは言うまでもない。
14回、「どうしても1点欲しかった」という3番・松井秀喜が伊藤から劇的な決勝ソロを放つと、その裏、ライト・出口雄大の執念のバックホームで同点を阻止。2対1で逃げ切った。
投手の代打起用によってナインの奮起を促し、死闘を制した長嶋監督は試合後、「すごい試合をしたよ。これで(チームの状態も)変わってくる。本当にいろいろあったな」と笑顔で振り返っている。
[2/2ページ]

