“無意識の女性差別”に根差す社会の共通認識 韓国映画の話題作「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」が否定するもの

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奔放な彼女と素顔を隠して生きる彼

「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」は、20歳で出会ったフランス帰りの自由奔放なジェヒと、ゲイであることを隠して生きるフンスがともにすごした青春を描いた映画だ。

 それぞれに同級生たちの面白おかしい噂のネタにされた二人は、それをきっかけに遊び仲間になり、やがてジェヒの家にフンスが転がり込む形で同居し始める。酒と夜遊びと恋としくじりが満載の青春時代はそうやって幕を開ける。

 韓国のクィア文学の旗手とも言われる、作家パク・サンヨンによる原作「大都会の愛し方」は、主人公のゲイの青年の一人称で綴られた連作短編だ。映画は、女性監督イ・オニが特に心惹かれた一篇「ジェヒ」を元に作られた。それゆえにジェヒの成長物語が先行して転がってゆく印象がある。

「自分らしく生きること」の価値

 高校時代をフランスで過ごしたジェヒは、大学では「最悪の評判の女」として知られている。授業が終わった途端に教室を飛び出すのは、さっさとタバコが吸いたいから、それも誰にはばかることなく堂々と、スパスパと吸う。

 夜遊びが大好きで、毎日のようにクラブに通いつめては、浴びるほど酒を飲む。酒代欲しさに愛車の赤いスクーターさえも売っぱらってしまう。ファッションは露出度高め。学内のSNSに顔のないセクシーな写真が出回れば誰もが「ジェヒだ」と思う程度には、性的な奔放さも知れ渡っている。

 人目を憚りながらタバコを吸う女たちは、彼女を見て「目立ちたがり」「尻軽」と後ろ指を指し、彼女の一挙手一投足を目で追う男たちは「イカレ女」「俺がモノにする」と下卑た笑いを浮かべる。

 20歳のジェヒが強烈に魅力的なのは、そういう連中に対して、自分が傷だらけになることを承知で敢然と立ち向かうところだ。そして、ジェヒにゲイだと知られ「弱み」を握られたと思っているフンスには、こう言い放つ。「あんたらしさが、なんで弱みなの?」。映画がジェヒを通じて描くのは「自分らしく生きること」の価値である。

思い切り失敗できることこそが青春の特権

 映画が説教臭くならないのは、そんなジェヒが恋愛においてあまりにもダメダメだからだろう。惚れっぽい上に男を見る目が壊滅的にないジェヒは、これでもかこれでもかとスレギ(カス)みたいな男を好きになっては、数々の笑える失敗、笑えない失敗を繰り返す。

 そんなジェヒに、フンスが言う「恋愛は赤い服と同じ。一度着ただけで”赤い服の女”と呼ばれ続ける」というセリフが印象的だ。映画冒頭からそれに呼応していたように、セーターやスクーター、コンバースに至るまでことごとく赤いジェヒは、その言葉にこう答える。「私は他人を気にせず、したいことをする」。

 ジェヒは成功する恋をしたいわけではなく、ただ恋したいから恋をする。もちろんそういう時代をとうの昔に終えている観客は、全身傷だらけのまま次の失敗に飛び込む彼女にハラハラしっぱなしなのだが、考えてみれば思い切り失敗できることこそが青春の特権なのだ。

 自身の秘密が明るみに出ることを恐れるあまり、成功間違いなしの恋さえも遠ざけて生きるフンスは、「自分だって自分がわからない」と泣いて叫んで翌日には笑顔で立ち上がるジェヒを見守る。そして、実のところ自分の本当の青春が始まってすらいないことに気づいてゆく。

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