「6年前、祭りに参加してくれた長嶋さんにどうしてもお礼を、と」 出棺さえもドラマチックだった

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「娘の誕生日まで頑張った」

 ファンが別れを惜しんだその日の午後2時半、東京・田園調布の長嶋邸はにわかに慌ただしくなっていた。

 喪服姿の三奈さんは玄関を開け、階段を下りるといったん立ち止まり、沿道のファンに「ありがとうございます」とお辞儀。再び玄関のドアが開くと、長男の一茂氏(59)を筆頭に親族関係者に担がれた長嶋さんの棺(ひつぎ)が現れた。一歩一歩、慎重に進み、車に棺を納めたのだった。

「長嶋ーッ!」という惜別の声と「うっ」という嗚咽(おえつ)が交じり合う中、喪主の三奈さんは助手席に、一茂氏は後部座席に乗り込み、車は葬儀場へと静かに発進した。

 長嶋さんが亡くなった6月3日は奇遇にも三奈さんの誕生日、永久欠番3とも重なる。

「長嶋さん、いろいろ考えてこの日を選んだとしか思えないねぇ。娘の誕生日まで頑張ったんだと思うよ。それに一茂と三奈さんがいろいろもめて、一茂が自宅に来なくなったけど、最期に一瞬でも家族を一つにさせるんだから。大仕事だよ」

 見守っていた往年のファンはそう語り、涙を拭った。

 この1時間半前には、町会の関係者が神輿(みこし)と共に長嶋邸を訪れていた。

「今日と明日、お祭りなんですが、6年前、長嶋さんが飛び入り参加して盛り上げてくださいましてね。そのとき、長嶋さんを担がせてもいただいたんですよ。いつも気にかけてくださって。どうしてもお礼をと思いまして」(町会関係者)

 荼毘(たび)に付された球界の“太陽”が数々の逸話とともに神話となりゆく一方で、残された者たちは……。

写真・本田武士/共同

週刊新潮 2025年6月19日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。