長嶋茂雄は「ツッコミ」を必要としない「ボケ」だけで成立する 芸人顔負けの稀有な存在

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意味不明の天才

 なぜなら、そこには確かな感情と熱量があるからだ。彼の語る言葉は、知識ではなく感覚であり、「伝える」というより「放たれている」という印象を受ける。まるで詩人のように長嶋氏は言葉で世界を描いてきた。

 この不可解さこそが、彼を国民的な英雄たらしめる魅力でもあった。人はわからないものに惹かれる。理解不能な発言、意図の読めない行動、それらがミステリアスなオーラとなり、彼を「目が離せない存在」に変えていた。取り繕ったような言葉ばかりが飛び交う現代において、彼のような「意味不明の天才」は、貴重なユーモアの源泉である。しかも、それは狙って生まれたボケではなく、天然で、無意識で、感覚的だった。だからこそ真似のできない輝きを持っていた。

 長嶋茂雄がよくモノマネの題材になってきたのは、キャラとしての絶対的な強さがあるからだ。芸人たちが長嶋氏の口調や仕草を真似て、どんなに誇張して演じようとも、本物の長嶋の存在感にはかなわない。本物の存在感が絶対的で揺るぎないものであるからこそ、モノマネ芸人たちはのびのびと彼をネタにすることができたのだ。

 人間をボケとツッコミに分けるなら、長嶋氏は完全に「ボケ」寄りの人間である。しかも、彼の発言からにじみ出るおかしみというのは、ツッコミを必要としない。ボケだけで成立してしまっている。こういう人間は本当に貴重である。プロの芸人でもあまりそういう人はいない。ツッコミがなくてもボケが成立するのは、彼の人間的な魅力や器の大きさが桁違いであるため、人々が自然に笑わずにはいられなくなるからだ。

 長嶋茂雄は野球界のレジェンドにして、「ボケの天才」でもあった。「面白いことを言おうとしていないのに面白い」というのは笑いの理想形である。彼の言葉や行動が、そして何より彼の「わからなさ」が、人々の興味をかき立ててやまなかった。つかもうとしてもつかみきれない不思議な存在感があったからこそ、人々は彼から目を離すことができなかった。

 多くの人を励まし、勇気づけ、笑顔にしてくれたプロ野球界の大きな太陽が沈んだ。長嶋茂雄の伝説はこれからも多くの人によって語り継がれていくだろう。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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