長嶋茂雄は「ツッコミ」を必要としない「ボケ」だけで成立する 芸人顔負けの稀有な存在
発言そのものが独特
先日亡くなられた長嶋茂雄氏は、日本プロ野球史において比類なき大スターだった。彼の偉大さは、単に野球選手としての実績や栄光だけでは語り尽くせない。たしかに彼が残した成績には目を見張るものがあり、その輝かしいプレーは今なお語り継がれている。
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【写真を見る】長嶋氏は大谷選手との2ショット写真を「非常に気に入っていた」という
だが、単にそれだけの存在であったなら、彼はこれほどの国民的な人気を得ることはできなかっただろう。長嶋茂雄という人間は「記録」と「記憶」の両方に残る稀有な存在だった。
実際、選手としての数字の上では同時期に活躍していた王貞治氏の方が上である。王氏は通算ホームラン数の世界記録を打ち立てて、「世界の王」と呼ばれた。しかし、大衆にとってのヒーロー像として人々の記憶に焼き付いているのは、長嶋氏の方だった。彼は「ミスタープロ野球」として、野球という競技を越えて、日本人の文化的記憶の一部となった。それはなぜか。鍵を握っているのは、彼の「しゃべり」と、そこに象徴される「キャラクター」である。
長嶋氏は発言そのものが独特だった。名言とも珍言ともつかない言葉の数々を連発し、そのどれもが不可思議であり、どこか浮世離れしていた。「いわゆる」「ひとつの」といったフレーズの多用、「失敗は成功のマザー」といった英語混じりの言葉遣い、「球を見逃すときにファッとやるときにですね、瞬間的にスパッと来ますから、気持ちがバッと」という擬音の連発など、ほかの人が真似できないような唯一無二のワードセンスを持っていた。
そういう感覚的な言葉遣いだけではなく、現役引退のときの「我が巨人軍は永久に不滅です」、監督時代の「メークドラマ」「メークミラクル」など、新聞記者が思わず見出しにしたくなるようなキャッチーなフレーズをひねり出すコピーライター的なセンスもある。
彼のしゃべりには一貫した特徴があった。それは「意味の不確かさ」である。思考の流れが予測できず、話が突然脱線し、比喩も唐突で、論理的整合性などお構いなし。にもかかわらず、熱を帯びた語り口には思わず引き込まれてしまう。
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