「”家にいるより病院の方が楽だ”と言っていた」 長嶋茂雄さんの晩年とは 「大谷翔平と撮った写真を非常に気に入っていた」
【前後編の後編/前編からの続き】
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんが6月3日、東京都内の病院で亡くなった。享年89。現役時代だけではなく、巨人や日本代表の監督になってからも多くのファンを魅了してきた昭和の英雄が野球界の未来を託したのは、令和のスター、ドジャースの大谷翔平選手だった。
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【写真を見る】長嶋さんは大谷選手との2ショット写真を「非常に気に入っていた」という
前編【「長嶋さんには“二つの夢”がありました」 大谷翔平との対面は実現、もう一つの夢とは】では、長嶋さんが語っていた「二つの夢」について紹介した。
2021年7月には東京五輪の開会式に姿を現し、王、松井両氏と共に聖火ランナーを務めたミスター。しかし翌年9月、自宅で転倒した際に後頭部を打ち、脳内に出血が見られたため緊急入院することになった。
「この時はたまたまマネージャーの男性がそばにいたのですぐに救急車を呼ぶことができたそうです。このアクシデントがあって以降、長嶋さんはずっと病院で過ごすことになりました。体調も徐々に悪くなり、ある時からは胃ろうもしていたようで、家族以外は長嶋さんのそばに仕えてきた“侍従”のような運転手しか病室には入れない状態となっていました」(長嶋氏と親交のあった巨人軍関係者)
「病院に通っていたのは三奈さんだけ」
ミスターとの間に2男2女をもうけた妻の亜希子さんは07年に心不全で他界している。
「亜希子さんが生きていればまた別だったのかもしれませんが、長嶋さんの子供たちはバラバラで、病院に通っていたのも次女の三奈さんだけでした。一茂さんはミスターのグッズ売却騒動などで三奈さんと関係が悪化していたこともあり、病院に来ることはほとんどなかったようです」
ミスターと共に巨人のV9を支えた柴田勲氏は、
「2年ほど前に東京ドームで会った時に本人は“家に帰ることもできるんだけど、家にいるより病院の方が楽だ”と言っていました」
そう明かすが、ベテランスポーツ紙記者によると、
「今年に入ってからはICUに入ることもあり、医師からは“先行きは楽観視できない”と伝えられていたようです」
「大谷との写真を長嶋さんは非常に気に入っていた」
そんな中、病院の反対を押し切って実現したのが3月の大谷との対面だった。
「長嶋さんが現役時代にドジャースから入団の誘いを受けたことがあるのは知る人ぞ知る話です。そのドジャースで活躍する大谷に最後の最後に会えたのは、長嶋さんにとってはとても良かった。そこで撮った大谷との写真を長嶋さんは非常に気に入っていました」(先の巨人軍関係者)
永久欠番となっている自らの背番号と同じ“3”日に他界したミスター。その人生は最後まで伝説に彩られていた。
前編【「長嶋さんには“二つの夢”がありました」 大谷翔平との対面は実現、もう一つの夢とは】では、長嶋さんが語っていた「二つの夢」について紹介している。