八神純子のヒット作「みずいろの雨」は「岩崎宏美さんの歌声を想像して作った」、中島みゆきを“ライバル視”していた過去も明かす
1978年のデビュー以降、シンガーソングライターとして活躍し続ける八神純子の楽曲が、令和の今、音楽ストリーミングサービス(サブスク)で世界的に人気を博している。そこで今回、八神にインタビューを決行し、本人とSpotifyの人気曲を考察するとともに、発売当時の思い出についても語ってもらった。インタビュー第1弾では、Spotifyだけでも海外で約3,000万回再生され、八神楽曲において再生回数ランキング1位となっている「黄昏のBAY CITY」について取り上げたが、今回は2位以下を見ていこう。
大ヒット曲「みずいろの雨」は岩崎宏美の歌声をモデルに、生放送中に“事件”も
Spotify第2位は、初のオリコンTOP10ヒットとなった「みずいろの雨」。この楽曲は当時、約60万枚を売り上げ、自身のなかでも最大ヒットを記録! ’90年代に音楽番組で岩崎宏美と共演した際、「宏美ちゃんの歌声を想像して作った」と語っていたが、
「その通りです。私は‘78年、20歳の誕生日に『思い出は美しすぎて』(オリコン最高25位、Spotify第13位)でデビューしたのですが、5月に出した次のシングル『さよならの言葉』(オリコン最高67位、Spotify36位)がさほど売れなくて、事務所の人に“もう名古屋に帰ったら”と言われ、ひどく傷ついたんですね。でも、それはどうしても嫌だったから、せめてソングライターとして残れないかなと思っていたんです。それで、当時ヒットを飛ばしていた岩崎宏美さんの歌声を想像しながら曲を書きました。彼女は歌が上手いですから。当時は私がデビュー直後で、面識もほぼなかったと思います」
そして、その曲に歌詞をつけたのが’23年に亡くなった三浦徳子。“ああ 崩れてしまえ”など強い言葉がサビにあるが、八神純子のパワフルな歌声との相性は抜群で、9月発売から11月上旬にはオリコン6位に入り、最高2位まで上り詰め、年をまたいで10週間もTOP10内をキープする大ヒットに。また、この楽曲は、躍動的なサンバのアレンジ(大村雅朗、97年死去)も印象的だ。
「私は日本の流行歌をあまり聴いていなかったので、大村雅朗さんの洋楽志向でスケールの大きなアレンジが好きですね。最初、自分が好きなボサノバ調でもっとゆったりとした曲だったのを、大村さんが“サンバっぽくしよう”と提案してくれたんです。大村さんとは、お互い出身地が東京ではなかったということで仲間意識を共有できて、とても優しい方でした。テレビ番組では、間奏のサンバ・ホイッスルも私が吹いていました。生放送中に、途中でどっかにいっちゃった! って慌てたこともありました(笑)」
それにしても、ヤマハ出身の他アーティストは、詞曲とも自作にこだわるイメージがあるが、八神の場合は必ずしもそうではなく、2ndシングルが別アーティストのカバー、「ポーラー・スター」は三浦徳子との共作、「みずいろの雨」「想い出のスクリーン」「パープルタウン~You Oughta Know By Now~」は三浦徳子、「Mr.ブルー ~私の地球~」は山川啓介が、それぞれ作詞を手がけている。
「私は、歌を歌うことを最優先としていましたから。曲を書き始めたのは、友達にヤマハのボーカル・タレントコースを勧められて入った後、日本武道館の『世界歌謡祭』で歌いたい! と思って、コンテストに応募するために作ったのがきっかけです。いくつかの入賞を経てデビューにつながり、間もなく1stアルバムを作ることになったものの、まだストックもなくて。それで、一生懸命、曲を書いたのを覚えています」
Spotify第3位には、’83年のアルバム『LONELY GIRL』収録の「夜空のイヤリング」がランクイン。こちらの楽曲は、なんと9割以上が海外リスナーだ。ゴージャスなホーン・セクションから始まる派手でおしゃれなナンバーで、聴いていると、’80年代風のアニメやカラフルなイラストが目に浮かんでくる。
「アルバム用に作った『夜空のイヤリング』が3位というのは、私もビックリしました! アレンジは瀬尾一三さんで、気持ちいいグルーブ感と独特の世界観がありますよね。この頃は、アルバムを年に3枚リリースしていましたが、曲を書いてレコーディングするだけで、打ち合わせにもあまり出ていなかったので、意外と時間には余裕がありました。今のほうが、いろいろなタイプのステージを企画段階から作っているので断然忙しいですが、楽しいです!」
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