コメ不足で悪者扱い「JA」の実態を「都会の人」はどれほど知っているのか…「JAがなければ田舎の生活は成り立たない」との声も

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農家は自分で販路を持っていない

 まるでDMM.なみに“なんでもやっている”JAは、農村にとって地域に根差した重要な社会インフラであり、なければ困る存在である。そして、便利すぎるがゆえ、農家は何から何まで頼り切ってしまっている。“大多数の農家はJAがないと何もできなくなってしまう”というのも、あながち間違った表現ではない。

 JA悪玉論を唱える人は、「農家がJAを通さずに直販すれば、コメは安くなる」と話す。しかし、大多数の農家は直販のやり方がわからないのである。法人化して経営している農家は別だが、JAに頼りきりだった兼業農家は農産物の生産だけに専念し、営業活動はほぼ行ってこなかったし、現在も行っていないため、販路を一切持っていないに等しいのだ。

 高齢化が進む農村では、ネット環境はおろかパソコンも持っていない農家もいる。これでどうやって直販をしろというのだろうか。しかも、トラクターやコンバインを所有していても、コメを精米したり、袋詰めする機械までは持っていない農家は非常に多い。それゆえに、JAを通す必要が出てくるのである。

 このように、JAは農家の依存体質を生み、自立を妨げてきたといえる。一方で、JAの営農指導は農法を技術的にも向上させ、世界に誇る高品質な農産物を生み出してきたこともまた、事実であろう。JAは地域に根差しつつもその母体があまりに巨大すぎるため、功罪相半ばし、評価が難しい存在である。

農家はJAから自立できるか

 戦前の農村は、自作農によって小作農が支配されてきた歴史がある。戦後の農地改革によって小作農は念願の農地を手にするに至った。しかし、その多くは農産物の生産こそできたものの、経営をすることはできなかった。そんな農家にとって、なんでもやってくれるJA(当時は農協)は願ってもない存在になったのは間違いない。

 以来、農家は農産物ができたらJAに納めるという流れが確立され、現在に至っている。令和のコメ騒動でJAの改革がにわかに叫ばれ始めているが、実際は、同様の議論はこれまでにたびたび繰り返されている。しかし、結局頓挫したのは農家のJA依存が強すぎて、体質を改めることが容易ではなかったためであろう。

 ちなみに、JAグループには家の光協会という出版社もあり、出版事業も行っている。あの藤子・F・不二雄の名作漫画「キテレツ大百科」は、同社が主に組合員の子供向けに出版していた「こどもの光」に連載されていた作品なのだ。キテレツのような斬新な発想力と閃きがなければ、JAの改革は難しいのかもしれない。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部

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