「ニュース原稿をただ読み上げるのが役割ではない」 「“報道のTBS”の顔」田畑光永さんが貫いた「キャスター」の在り方

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は5月7日に亡くなった田畑光永さんを取り上げる。

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ニュースの内容を判断するのは視聴者

 田畑光永さんは「報道のTBS」を代表する一人だった。1984年から4年にわたりキャスターを務めた夕方の「ニュースコープ」でTBSのアナウンサー、吉川美代子さんとコンビを組み評判を呼ぶ。同番組はNHKの独壇場だった午後7時台まで放送時間が延長され、NHKを上回る視聴率を記録したほどだ。

 吉川さんは振り返る。

「キャスターはニュース原稿をただ読み上げるのが役割ではない。リレーの最終走者のように責任を持って、事実を視聴者に伝えなければと、田畑さんは考え実行していました。ニュースの背景まで理解し、複雑でも内容を損なわずに伝えることを徹底していたのです」

 二人は新しい手法を取ったり奇をてらったりしない。落ち着いて的確に語り、説得力があった。

「番組は午後6時30分開始ですが、私たちは昼ニュースの時間帯から報道局で記者と一緒に準備を進めました。もっと知りたい点があると取材した記者に直接質問する。15秒ほどのコメントやフリートークも、当たり前の話にならないよう、こういう見方はどうだろうと記者とも相談し丁寧に練った。分からないことに推測を交えず、ニュースの内容を判断するのは視聴者であると、事実と印象を必ず分けて語りました」(吉川さん)

文化大革命は混乱と破壊と停滞

 35年、東京生まれ。中国に関するルポルタージュに関心を持つ。実態をつかむには語学が必要と、東京外国語大学の中国語科へ進む。

 60年、東京放送(現・TBSホールディングス)に入社。報道記者となる。中国へは71年に初訪問。翌年、田中角栄首相による日中国交正常化を同行取材した。

 イデオロギーを介して中国に接していなかった田畑さんは、文化大革命を混乱と破壊と停滞でしかないと冷静に捉えていた。77年から80年まで北京支局長に。改革・開放路線に転換する時期だが、当時、中国が劇的に発展するなど想像だにしなかったと正直に語る。

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