「大谷選手と話すことが長嶋茂雄さんの夢だった」 病院の反対を押し切って3月に対面…巨人軍関係者が明かす「2ショット写真を非常に気に入っていた」
「走れるようになるのでは、と思わせられるくらいでしたが……」
その姿を毎朝、そばで見続けた先の吉見氏によると、
「リハビリは順調で、このまま回復して走れるようになるのではないか、と思わせられるくらいでした。ところが18年の6月ごろから、リハビリのスタート地点でうずくまったり、途中で立ち止まったりすることが多くなりました」
ミスターが胆石の治療のために入院した、と報じられたのはそれからほどなくした頃だった。
「この時は結果的に数カ月で退院することができたのですが、ここでかなり体力を削られ、腰も悪くしたのではないでしょうか。それ以降、長嶋さんが公園などでリハビリや散歩をすることはなくなりました」(同)
「家族と運転手しか病室には入れない状態だった」
21年7月には東京五輪の開会式に姿を現し、王、松井両氏とともに聖火ランナーを務めたミスター。しかし翌年9月、自宅で転倒した際に後頭部を打ち、脳内に出血が見られたため緊急入院することになった。
「この時はたまたまマネージャーの男性がそばにいたのですぐに救急車を呼ぶことができたそうです。このアクシデントがあって以降、長嶋さんはずっと病院で過ごすことになりました。体調も徐々に悪くなり、ある時からは胃ろうもしていたようで、家族以外は、長嶋さんのそばに仕えてきた“侍従”のような運転手しか病室には入れない状態となっていました」(長嶋氏と親交のあった巨人軍関係者)
“家にいるより病院のほうが楽だ”
ミスターと共に巨人のV9を支えた柴田勲氏は、
「2年ほど前に東京ドームで会った時に本人は“家に帰ることもできるんだけど、家にいるより病院の方が楽だ”と言っていました」
そう明かすが、ベテランスポーツ紙記者によると、
「今年に入ってからはICUに入ることもあり、医師からは“先行きは楽観視できない”と伝えられていたようです」
「大谷との写真を非常に気に入っていた」
そんな中、病院の反対を押し切って実現したのが3月の大谷との対面だった。
「長嶋さんが現役時代にドジャースから入団の誘いを受けたことがあるのは知る人ぞ知る話です。そのドジャースで活躍する大谷に最後の最後に会えたのは、長嶋さんにとってはとても良かった。そこで撮った大谷との写真を長嶋さんは非常に気に入っていました」(先の巨人軍関係者)
永久欠番となっている自らの背番号と同じ“3”日に他界したミスター。その人生は最後まで伝説に彩られていた。








