86歳にして現役! 漫画界のレジェンド「ちばてつや」が明かす“色っぽいストーリー”を描けなかった理由は「母親から説教をくらいましてね(笑)」
2024年、漫画家として初めて文化勲章を受章したちばてつやさん(86)。6歳の時に旧満州(中国東北部)で終戦を迎え、7歳で引き揚げるまで壮絶な体験を重ねた。「ハリスの旋風」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」など、昭和から平成にかけて、数々のちば作品に胸をときめかせた方も多いはず。「昭和100年」にして「戦後80年」の今年、改めてちばさんに話をうかがった。(全2回の第1回)
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園遊会にて
「『あしたのジョー』のちばさん!」
4月22日、元赤坂の赤坂御苑で開かれた天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会に出席したちばさんは、天皇陛下からこう声をかけられたという。
「陛下とお会いするのは、昨年11月3日に皇居・宮殿で行われた文化勲章の親授式以来だったんですけど、園遊会はとても天気のいい日でね。陛下は『海外でも日本の漫画が翻訳されて日本の文化、日本語に興味を持つようになった方が、たくさんいらっしゃいますね』と話してくださいました。また『漫画を描くのは大変ですね』と労いのお言葉も頂きました。皇后さまと、愛子さまともお話ができて、本当に嬉しかったですよ」
受章会見でも述べていたが、ちばさんが漫画家としてデビューして間もない頃(1950年代末~60年代)、漫画は「悪書」と呼ばれ、子どもの目には刺激的な雑誌や漫画だけを集めて「こんなものを子どもが読むのは問題だ」と、焚書の扱いを受けたこともあった。
「そんな時代を知っていますから。まさか文化勲章を頂けるなんて、思いもよらないことでした。でも、私たちの先輩や仲間達が本当に頑張ってこられたおかげで、今では素晴らしい作品がたくさんあります。また、世界中に翻訳されていることもあり、日本の漫画を読んでサッカー選手を目指すきっかけになった選手がいるとか、大変なブームになった作品もある。今回の受章は私にではなくて、日本の漫画界全体に頂いたものだと思っています」
そう謙遜するちばさんだが、今回の受章を誰よりも喜んでいるのは、2004年に91歳で亡くなったちばさんの母親、静子さんではないだろうか。
静子さんは戦前に出版社に勤めていたが、同僚だった夫(ちばさんの父)の転職に伴い、大陸へ渡った。終戦時は6歳だったちばさんから、生まれたばかりの末っ子まで4人の男の子を抱え、必死の思いで満州から引き揚げてきた。
現在連載中の「ひねもすのたり日記」(小学館『ビッグコミック』)でもそうだが、ちばさんは終戦から引き揚げまでの体験を、漫画や自伝で語り継いできた。父の社宅のあった奉天(現在の瀋陽)から、引き揚げ船の出る葫蘆島まで数百キロ。ボウフラを手でどけて泥水をすすり、栄養失調から耳が取れそうになりながら、懸命に歩いた――。
引き揚げ船に乗っても、力尽きていく人たちを何人も見た。もう少しで日本に帰ることができるというのに、逆にその安心感から緊張の糸が切れるように、息絶える人が何人も出たという。幼少期のちばさんの脳裏に刻まれた、過酷な現実である。
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