ヒロインの国家主義に迷いが…「正義とは何か?」を問い続ける朝ドラ「あんぱん」が支持される理由
死を克明に描く
朝ドラことNHK連続テレビ「あんぱん」は幸不幸が交互にやってくる。ヒロインで尋常小学校教師・朝田のぶ(今田美桜)は船舶の1等機関士・若松次郎(中島歩)と結婚したが、幼なじみで画学生の柳井嵩(北村匠海)は伯父で養父の医師・寛(竹野内豊)と死別する。10年にわたって朝田家を支えてきたパン職人・屋村草吉(阿部サダヲ)は出ていく。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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【写真】「泣けました…本当」と視聴者も感涙した献杯シーン。豪華出演者の写真も
最近のドラマの多くには死を克明に描かない傾向があるが、「あんぱん」は違う。残された肉親たちの慟哭をつぶさに捉え、故人の生前の人柄もあらためて浮き彫りにする。
人の死を重く考えているところもこの物語が支持を得ている理由の1つではないか。死は観る側にとっても重大事である。
高知県御免与町で医院を開いていた寛の死も厚く描かれた。寛はこの物語にとって大きな存在だった。それに留まらない。寛の遺した言葉は今後の物語においても意味を持つに違いない。
亡くなったのは1940(昭和15)年、第41回だった。東京高等芸術学校に通う嵩は寛の危篤の報せを受けた後、しばらくしてから高知県御免与町に戻るが、寛には既に面布が掛けられていた。嵩は悲しみに暮れる。
寛は嵩とその弟の千尋(中沢元紀)に無私の愛情を注いだ。嵩は1936(昭11)年だった第20回、旧制高知第一高校の受験に失敗したので、これを詫びると、「何を謝る必要があるがや」と穏やかな口調で諭された。
不合格に気落ちした嵩が姿を消すと、いつも冷静な寛が血相を変え、のぶたちと懸命に探し回った。線路に横たわっていた嵩を見つけると安堵し、「絶望の隣は希望じゃ」と励ました。敗戦を挟む今後の物語のカギを握る言葉の1つになるだろう。
翌1937(昭12)年、嵩は東京高等芸術学校を合格する。その年の夏休み、嵩が友人で同居人でもある辛島健太郎(高橋文哉)と帰省すると、寛はすこぶる上機嫌だった。第32回である。
「嵩は父親(寛の弟の清・二宮和也)と似ていごっそう。いごっそうが自分の道を見つけて歩き出した」
いごっそうは高知弁で「信念を曲げない男」「気骨のある男」などを指す。高知の男性に対する最大級の誉め言葉である。
寛は千尋の人物評も口にした。千尋は優等生だが、寛による人物評は鋭いものだった。これが2人の戦時下での未来を暗示しているのではないか。
「おまんは我慢し過ぎる。遠慮しよったら、いかんこともある。もっとわがままに生きりゃいいがじゃ」
優等生の千尋は「分かりました、父さん」とうなずくが、これも寛には気に入らなかった。
「そんな簡単に分かるな。千尋、もっと逆らえ。いごっそうになれ」
話半分で聞いていた嵩は微笑んでいたが、当の千尋は暗い表情でうなだれた。図星だったのである。
振り返ると、千尋は6歳のときから気を遣っていた。1927(昭2)年だった第1回、8歳の嵩と母親の登美子(松嶋菜々子)が寛の家で居候を始めると、既に寛の養子になっていた千尋は2人に向って、「こんにちは!」と他人行儀な挨拶をした。嵩と実の兄弟であることを忘れていた。
いや、本当はおぼえていた。それを嵩に打ち明けた。自分がヨソの子供であることを知っていると、寛と妻の千代子(戸田菜穂)が悲しむとでも思ったのか。あるいは捨てられるとでも考えたのか。
気を遣う子供は不憫だ。のぶに思いを寄せ続けた嵩を気遣うあまり、自分ものぶが好きでありながら、打ち明けられなかったのも切ない。
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